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第五章
第三節 プロフェッションへの進展

(一) おらが町の薬剤師と薬局

ヨーロッパの古い都市は、ほとんどどこでもそうだが、町のまん中に広場があり、その広場に面して市庁舎、教会など、その町の重要な建物が並んでいる。その広場は、昔から、日を決めて行商人が集まり、市(いち)がたった場所でもある(今でもそういう広場をプラザなどと呼ぶ。写真5・3)。その広場に面した一画に、その町の薬局があるのが普通である。薬局は、その町の重要な機関であった。例えば、薬(毒)を管理している場所という役割である。したがって、薬局の薬剤師の善し悪しは、その町にとって大きな問題であった。

ドイツでの一例をあげると、はじめ薬局はその街の薬の独占販売権(Privilegium)を持ち、登記のできる世襲財産であった。これは、大変に価値のある財産とみられたが、しかし、次第に社会の実態から遊離してしまう。薬局がとんでもない無能な薬剤師に売られたり、跡継ぎが怠け者だと、町中が困ってしまうのである。薬局の公共性が次第に認められ、高くなるとともに、薬局の性格は変えられていったのである。

国によって早い遅いはあるが、十九世紀には、薬局は薬剤師の個人財産ではあるが、世襲はできない免許(Konzession)とされた。薬剤師が引退したり死亡した場合は、その薬局の後継者として、最も適格の薬剤師を選ぶ事にしたのである。この、後継者は、同業組合が複数の候補者を推薦して、市議会に選んでもらうとか、その承認を必要とするようにした都市が多くなったのである。

こうした規制は、薬剤師にとって重荷ではあったが、一面励みにもなったようだ。つまり、薬局を世襲できなくなったので、若い薬剤師達にとって、薬局主になれる可能性が大きくなったのである。薬剤師の見習いの修行をしたのち、ギルドの試験に合格して、始めは職人として薬局に勤める。一本立ちの薬局薬剤師になる手始めは、立地条件の悪い場所にある薬局か、小さな町の薬局主に立候補することである。合格したらその薬局を買い入れて、開局薬剤師(薬局所有薬剤師)の第一歩を踏み出すことになる。もっと仕事の多い(したがって収入の多い)、格式の高い都市の開局薬剤師には容易になれない。なろうとするには、市民に良いサービスを提供して、評判を良くしておかねばならない。住民の推薦がなければ相手にされないのである。その上で、望む薬局の先輩の引退、死亡を待つのである。ぼんやりしてはいられなかった。薬品の品切れで、処方せんの薬が揃わず薬が作れない。義務づけられている時間に、薬剤師が不在で調剤ができない。そんなことは、薬剤師の評判を悪くする原因であった。こんなことでは、今の薬局主の地位すら奪われるかもしれないのである。

この競争が薬局の質の向上と薬剤師の良い体質作りに役立ったことは確かである。こうして薬剤師はだんだんと営利を目的とする人生観を捨ててしまう。きちんとした仕事をして、住民が薬剤師の仕事ぶりに満足してもらう方が良かったというか、薬剤師にとっては得なことだったのである。長い間、薬剤師の終生の目標は、格式のある、立派な都市の、薬局主(開局薬剤師)になることであった。今でも、その伝統を受け継いでいる国が少なくない。

この点についても、わが国では薬剤師体質となっていない。市民に良いサービスを提供するとは、薬学教育の中で、そうありたいという願望として、時々いわれるだけである。むしろ、逆なことが多い。例えば、不必要に薬を連用している消費者に、もうおやめなさい、といった忠告をすると、多くの場合にその消費者は薬をやめないで、他の、薬の売上を伸ばすことを考えて、消費者のことを考えない薬局に行ってしまう。そして、忠告をした薬剤師を不親切な薬剤師と思うに違いない。従って、わが国の薬剤師は、薬剤師の免状は薬を扱う権利で、一度もらったら一生ものと考えやすい。薬を道具にしてもうけようとか、技術の向上に努力しない薬剤師の方が、経済的に恵まれることになり、そういう薬剤師が少なくないと批判されている。

(二)薬剤師の人生観、職業観 −−薬局の公共性の増大−−

ヨーロッパの薬剤師の変わり方をもう少し調べてみよう。薬剤師は宣誓職業であったので、薬剤師はキリスト教の教義に忠実に生きようとし、仕事をしたに違いない。そして前に述べた、がんじがらめの規則に縛られて、融通のきかない体質を持ちながらも、薬剤師仲間のサービス競争で市民の信頼を得ようとしていた。

しかし、彼らの生活には、いつも誘惑があったはずである。例えば、イカサマ薬を売れば、すぐにでも金持ちになれる。効力の落ちてしまった薬や、古くなった薬を使っても、誰にも分からないし、損をしないですむことは魅力である。こうした、数々の誘惑に打ち勝って、ほとんど全ての薬剤師が純良な薬を管理し、作り、販売したのは、なぜだろうか。その当時の薬剤師達は、どんな考え方をしていたのだろうか。そこが面白いところであり、大切なところである。

まず、薬剤師ギルドと都市の市議会との交渉というか、駆引きに注目しよう。薬の弊害に手を焼いた市当局者は市議会と共に、薬による市民の危険を防ぐ意味から、薬の管理を改善しようとして、薬剤師側に厳しい管理を要求していた。さらに薬の価格を上げないようにも要望する。これに対して、薬剤師側は、薬剤師以外の取扱者による薬の管理の片手落ちを指摘して、薬の独占的な取扱いを主張する。そして、ほとんどの場合、薬剤師は薬の取扱いの独占権を獲得している。しかし、その代償として公共性を重視することを認めるようになる。

多くの場合、薬剤師側は全ての薬局の設備水準を定めたリスト(わが国にも伝えられて薬局等の構造設備基準という)と、常備しなければならない薬のリストを持つことになる。これは薬局の技術水準の最低を市民に保証することである。さらに、大きな都市では交代制で、夜間と休日の救急処方の受付体制をとることとなる。薬局の薬剤師はこうして住民の要求を次々と受け入れながら、育っていくのである。

(三)薬剤師の人生観 −−最も多く奉仕する者は、最も多く報われる−−

昼夜を問わない薬剤供給体制の中に組みこまれてしまい、さらに、薬剤の公定価格が制定された薬剤師は、商人という感覚を失ってしまった。仕事をすればそれだけの収入が確保できるが、それ以上のことはできなくなったのである。薬を余計に売ろうとか、利幅のある薬を勧めるとかができなくなったのである。つまり、金もうけを考える余地がなくなってしまったのである。

むしろ、正常に仕事をしていれば生活に困らなくなったので、偽薬を売るなどという、詰まらぬ冒険をすることもない。悪事の仲間入りをして、仲間外れになったり、薬局を失うよりも、忠実に仕事に励んでいる方が得になってきたのである。病人の弱みにつけこんで、もうけようとする人々に荷担して、街の人々の信頼をなくすことは馬鹿げている、ということである。

他の職業人が自分のもうけを中心とした人生観を持っていたにもかかわらず、積極的に街の人々の要求を聞こう、街を良くしよう、それが薬剤師の生きる道なのだとの考え方が、自然と薬剤師の体質を作っていったようだ。

つまり、薬剤師の人生観の中では利益よりも、忠実に仕事をこなすことの方が、余程重要なこととなってきたのである。薬剤師としての豊かな生活が保証されるなら、なんで営利を目的としなければならないのだろうか。こうして、薬剤師達はあっさりと営利を目指す態度を捨ててしまうのである。社会に対して、最も多く奉仕するものは、最も多く報われることを実感したのは、薬剤師達だったのである。

十九世紀の薬剤師達の言動は、かなり重々しいものだったようだ。こうしたやり方は、個々の薬剤師が、ばらばらに始めたことではない。一人だけがこうしたやり方をしても、それは滑稽なだけである。同業組合の薬剤師全部がこうした考え方、態度をとったのである。同業組合のリーダーが、組合員を掌握しながら、率先してこうしたやり方を広めていったに違いない。

この薬剤師側の考え方が市民に理解されると、人々はますます薬剤師を、その都市、町になくてはならぬ人として処遇するようになった。校長先生や警察の署長さんなどと並べて尊敬してくれるようになったのである。社会的な地位の向上が付随してきたのである。薬剤師は一層住み心地が良くなり、さらにその期待に応えるように仕事に励むことになった。忠実に仕事をすれば、それだけ信頼も高まるという、良い循環が起きるようになった。薬剤師はこの循環に乗って、他のことを考えなくなってしまった。薬剤師の人生観は、こうして定着していったといわれる。

(四)薬剤師職業像の形成 −−薬剤師プロフェッションの誕生−−

薬剤師以外の薬の製造者や取扱者は、ただ薬を売ってもうければ良いとの考え方から脱却できないでいた。相変わらず、病人の弱みにつけこむといった程度の発想から抜け切れないでいた。街を良くしようとか、市民への奉仕を優先させるという、薬剤師の考え方に同調できなかったのである。こういう輩は、市民を味方につけた薬剤師にとっては、弱い競争者でしかない。反対に消費者を味方につけた薬剤師は、相手にとって手ごわい競争者になった。こうして次第に、他の薬の取扱者を消滅させながら、薬剤師と薬局が生き残っていったに違いない。

その上で、薬剤師達は、前章で指摘した全国的な地域薬剤供給サービス網を着々と造り上げて行ったのである。この薬剤師の考え方や先見性は職業人として、さすがであったと言わざるを得ない。

一方で、ヨーロッパにはこうした職業像を持つ職業がいくつか存在した。つまり、プロフェションと呼ばれる特別な職業像を持った職業人が古くから存在していたのである。医者や弁護士も古くからプロフェッションであったし、そのように処遇されていた。プロフェッションとは、いうなれば、その職業が社会で重要な欠くことのできないうえ、人の弱みにつけこめる立場におり、かつそれをいさぎよしとしない体質を持った職業人である。ヨーロッパ社会は、こうした職業人を育てる必要を感じ、長い年月をかけて、うまく育てたのである。

プロフェッションは、市民からの仕事の依頼を、自分の都合で断ってはならないとか、営利を目的としないが仕事には十分な報酬をもらえるとか、常にその職業の学問技術を進歩させることとか、後継者の養成を義務づけられているとか、不幸な仲間や仲間の未亡人を養老する義務など、市民とプロフェッションの間で、様々な約束を交わしながら、自分達の、よい職業人体質を育てていったのである。

近くに、良いお手本があったので、薬剤師の場合も、早くからプロフェッション化が進んだといわれている。薬剤師はプロフェッションの仲間入りをして、薬局の経営を単なるビジネスという次元で見なくなってしまうのである。

わが国の現状と比較すると大変な違いで、本当のこととは思えないような、いくつもの実例を次章で示そう(第六章過疎地対策の一例など参照)。

(五)薬剤の集中管理体制の確立

薬剤師職業は、こうして二十世紀までに住民から支持される、力強い職業に育っている。その結果として、社会中のすべての薬は薬局に集められ、管理されることとなった。薬の邪悪な性質は、次第に角を矯められる基盤が出来上がったのである。そして、薬剤師は名実ともにその社会の薬の責任者となったのである。

いまだに薬を生計の手段、もうけの種と考え、調合の技術者のイメージを捨てきれないうえ、薬局というのは小売商店であり、公共性も、非営利性も強調されない、わが国の薬剤師と比較すると、ヨーロッパ社会の知恵を感じずにはいられない。

このプロフェッションに成長し、薬の取扱いの独占を認められたヨーロッパの薬剤師達は、その独占が薬の安全管理のための、技術的な面だけでなく、経済的にも消費者の立場から、有用であることを実証しなければならなかったし、二十世紀を迎えて新たな問題に直面して、大きく変貌を遂げるのである。



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