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第五章
第一節 基本的な職業体質

(一) 薬剤師の仕事場

わが国では、薬剤師を化学者から生まれた職業人だと思いこんでいる人々も多い。薬は化学物質であるし、薬剤師の仕事は化学的なことが多い。ところが、化学が学問や技術として進歩し始めたのは、もう十八世紀になってからである。薬剤師はそのずっと前から仕事をしていたのである。つまり、初期の薬剤師の仕事や道具が化学の技術に取り入れられることはあっても、その反対はあるはずがない。

また、薬剤師はアラビアから伝えられた錬金術師の後裔(こうえい)だとの説もある。これも、一部にはそうであったかも知れないが、現在残っている中世の薬局の木版画に見られる薬剤師の仕事場には、錬金術師の使った道具は何もないのが普通である。時代が新しくなると、錬金術や冶金、また化学で使う器具が薬局の道具としてあらわれてくる。

中世の薬局を描いた木版画が数多く残っている。その中の一つには薬を入れた、紋章の描かれた壷の並ぶ棚がある。壁に竿秤、生薬の刻み板、鉢がかかっている。星状の陳列物は何に使ったかわからないそうだ。壷の表示は紋章のような記号が使われているのは、いまだに文字(ラテン語)が誰にでも読める時代ではなかったからであろう。壷に入れられた薬は、生薬(原料)と、あらかじめ調製された薬とであったに違いない。コショウつぶしとして用いられた乳鉢は、薬剤師のシンボルになった(写真5・1)。

香料はアジア、インドからはるばると運ばれてくるので、常に混ぜものに注意しなければならなかった。胡椒はカラシで増量されたという。粉末の胡椒は売買の対象にならなかったという。現在でも、生薬は原形のままの取引が原則である。良心的な薬局は、粉末生薬を扱うには細心の注意を払う伝統がある。

当時から、処方集の指示通りに調製することを義務づけられていた。油に溶かした軟膏剤など複雑な薬は、確認のため、監督官、医師、仲間の薬剤師などの面前で、材料を公開しながら調製を行なう事になっていたという。また、特別の薬を除いて、調製された薬を仕入れることは、禁止されていたともいわれている。

こうした厳しい制約は、その当時、どれほど、いかさま薬が横行していたかを想像させるし、それに対して薬剤師が徹底して、品質の確保に努力したかを知ることができる。

(二)品質の良否に敏感な薬剤師 −−絶対に妥協しない職業イメージ−−

試薬という種類の薬がある。人間に直接使うのではなく、化学分析の時に使う薬品である。この試薬の品質が悪いと、分析の結果が信用の置けないものになる。肝臓の検査をしましょうといって試験した結果、健康ですといわれても、使った試薬が悪かったら、その検査は信用できない。

正確な分析をするには、第一に「まず試薬を試験すること」という格言があるほどである。この極度の信頼性を要求される試薬で、あそこの試薬ならと、世界中の信頼を得ている会社がある。

西ドイツのメルク社といえば、化学試験用試薬の品質にかけては昔から世界的な定評を持っている会社である。それをご存じの方も多いはずである。生産部門よりも、品質管理部門の方が大きい面積を持ち、働いている人も多いといわれるほどである。

そのメルク社は、創始者のメルク家は、ダルムシュタットの中心部でエンゲル・アポテーケ(天使薬局)を、代々経営してきた薬局薬剤師であった(写真5・2)と、薬剤師であったことを誇りとして、そのことを堂々と社史に載せている。ドイツの薬剤師は伝統的に品質に厳しい感覚を持っており、良品のみを扱う習慣があり、決して妥協しない。そして、良い薬剤師の作る薬品は信頼性が高いと自ら誇っている。

その上、ダルムシュタットは前大戦で破壊されてしまったが、戦後になって、再びメルク家はエンゲル・アポテーケ(天使薬局)をわざわざ再興して、今でも経営している。

残念ながら、わが国の薬剤師には、とてもこうした厳しい職業イメージはない。わが国の薬剤師はいまだに、本当に処方通りの薬を調合してくれているのかという、医師や患者さんの不安を扱いかねている。薬の調合、調製をする薬剤師が、ちゃんとした薬を作ってくれるだろう、くれなければ困るというぐらいに見られている。その程度でしかないようだ。ところが、ヨーロッパでは違う。薬剤師に強いイメージがある。それは、品質に関する妥協のない確かさについての長い歴史から生まれたものであろう。

薬剤師が生まれた、その当時にも、薬を調製、調合することだけなら、僧侶、錬金術師、魔術師、祈?師など、沢山の人々がいたはずである。しかし、ヨーロッパの社会は、次第にそれらの人々を受け入れなくなっていった。薬を調製、調合するだけの職業人は必要としなかったのである。その位なら、むしろ薬は医師に任せたほうが、ずっとましだったのである。

自分の住む町に、偽せ薬でない、混ぜもののない薬、強さの決まった正しい薬を供給し、悪事に荷担しない職業人が欲しかったのである。都市の市民は、薬を扱う専門の職業人として、厳しい体質を要求した。それに応えることのできたのが、今の薬剤師の祖先だけであったに違いない。

後々まで、薬剤師ギルドは他のギルドの職人の使う天秤や分銅の検定を受け持っていたことを述べた(第四章第三節参照)。秤量器械の検定は公正な取引の基本になる。したがってどの社会でも重要に考えていたことである。それを薬剤師に任せようというのである。

これからも分かるように、薬剤師は正直である、公正であるという面で市民の信頼を得ていたに違いないし、薬剤師の方もそれを誇りに感じ、市民の信頼を損なわないよう仲間内で互いに注意しあったのだろう。

わが国の薬剤師にはそういった定評がなく、自らの誇りのないのは残念なことである。

(三) 毒殺の流行

アラビアでも、クレオパトラは自らを毒蛇に咬ませて死んだが、ローマ時代からヨーロッパでは、毒の研究が盛んで、毒殺がしきりと行われた。

ローマ時代の毒殺事件では、クラディウス皇帝の毒殺が有名である。二度目の后、アグリッピナは、連れ子のネロを、皇位に就けようとして、ロクスタという魔術師を引き入れて、様々な方法をとり、ついにはクラディウスの好物の茸に毒を仕込んで、毒殺に成功したといわれる(五一四年)。

ルネッサンスの頃までに、その傾向は一般に広がった。ボルジア、メジチ等の貴族、特に女性は毒殺の名手だったといわれている。誰が殺したか分からぬように、優雅に、芸術的に殺すことを目標とした。ルネッサンス時代は、女性も男性に負けずに戦った。男は剣で、女性は毒で戦うという考え方が不思議でなかったのである。都市でも、市の有力者間の殺し合いは少なくなかったという。使われたのは、砒素、血液毒などで、今から考えると幼稚な方法だったが、当時の人々が、大変な恐怖を感じていたことは疑いない。現在のわが国の国民が、化学物質や農薬について、感じているのと同じ恐怖感かもしれない。

貴族が模範を示すのであるから、下々までが真似したのは不思議ではない。ナポリのトファナという女性は皮膚のしみをとる化粧水として、「聖ニコラスの甘露」と名付けた多分、亜砒酸水を売り出した(一六五〇年頃)。妻がこの化粧水を利用して、数百人の夫が殺されたといわれる。そして長くトファナの水(泉)として有名だった。横暴な夫は妻の化粧水による毒殺に注意しなければならなかったのである。

都市の有力者達の殺し合い、復讐などから、夫人殺しを企てる妻。この時代、薬を使っての殺し合いの話は、いくらでも探すことができる。

(四)毒の番人 −−コミュニティの管理責任者−−

一方、よい町、よい都市を造り上げることを目標とした人々は、こうした薬の危険を防がねばならなかった。

このために、毒である薬を街中から隔離した。薬を街の一ヵ所に集めて番人を置き、安全に管理しようと考えたのである。薬という猛獣の檻に鍵をかける責任者を、薬剤師にさせたのである。その仕事を薬剤師は忠実に実行して今に至っている。

コミュニティの「薬を管理する」ことが薬剤師の大きな仕事となったのである。薬剤師の前で、自筆でサインをさせられ記録とする。ヨーロッパ社会では、今でも、薬剤師はこの役割を大切に考えている。コミュニティを背景とした、この原則の本当の意味も、わが国に正確に伝えられていないようだ、

わが国民はむしろ医師から薬をもらうのが普通であったし、その薬の方が効くと考えていたので、医師が薬を管理することに疑問を持たなかった。また、薬種商や配置販売業者など、薬局の薬剤師以外に薬の取扱者が存在するわが国では、便宜を優先する世論から、薬剤師はコミュニティでの集中管理を受け持つことが出来なかった。たとえ、薬剤師が集中管理を申し出ても、薬の恐さを知らないわが国では、薬剤師のわがままとか、業権の拡大としか理解されなかったのである。コミュニティでの薬の責任者を作ることは考えもしなかったのである。

毒劇薬、毒劇物を販売した際に、記録をとるということはわが国でも行なわれている。しかし、何かつじつま合わせに見える。わが国にはコミュニティに統一された薬の責任者が存在しないで、様々な薬の取扱者が存在するために、バラバラな記録が社会の様々な場所に残っているだけである。だから、事件が起きたら警察が調べることはできようが、それだけである。つまり、社会でどのような薬剤、薬物が、どのような場所で使われているか簡単には分からない。消費の統計もとれないことになる。もっと安全な、合理的な流通に改善しようなどという工夫は、どこからも起きない仕組みになっている。事件が起きると、新聞の報道などが問題にして、行政の責任ということになり、規制を厳しくすることでけりをつける、消費者はますます不便を強いられる、という悪循環を繰り返すことになっている。

ヨーロッパの薬剤師には、その街、その都市の薬の管理者の雰囲気がある。それに引き換え、わが国の管理薬剤師は、その薬局だけを管理すればよい、コミュニティで何が起きても関係ないといった感じである。

話を元に戻そう。毒薬を販売した記録で、沢山の毒殺犯人が捕らえられた。何世紀もの間に、この記録する習慣は、すっかり薬剤師の仕事として定着してしまった。薬剤師の仕事の中で記録することが、重要な部分を占めるようになった。さらに、薬の行方をきちっと抑えた記録が、その社会が毒を管理するのに良い方法を教えてくれた。こうした管理が国民生活の安全に果たした貢献は、小さいものではない。

現在でも、この管理は重要と考えられている。薬学の進歩により、その範囲は広くなっている。

たしかに、わが民族は薬や毒物を悪用する習慣がなかったのであろう。わが国では、こうした薬剤師の役割、薬剤師の職業体質は育っていない。むしろ、覚醒剤などは薬剤師が持てないような規則が行なわれている。しかし、現在では清涼飲料や酒に農薬のパラコートを入れるといういたずらや、傷害や殺人を目的とした事件はしばしばマスコミを賑わしている。公害や薬の被害も大きくなっている上、国民の認識も高い。社会は変わりつつあるといえよう。しかし、わが国の薬剤師自身は、今まで社会から期待されずに疎外されていたので、こうした社会的責任があると自覚していない。

わが国でも薬局の管理薬剤師という言葉がつかわれている。その意味は、その薬局の管理である。薬局に備蓄する医薬品について、不良品を蓄えないよう注意すること、自分の薬局から不法に薬が売られないことである。コミュニティの住民に対して責任を持つのが、本当の意味の管理薬剤師ではあるまいか。わが国の法体系はこうした責任者として、薬剤師を考えていないようだ。

薬の社会に及ぼす害毒を防ぎながら、上手に薬を使うには、薬の取扱者をはっきりと定めて、その人々に責任を取らせるのが、最良の方策だったのである。暴れ者の薬は、その頃から次第に社会の中で調教され、おとなしくなるのである。これが、毒を市民から隔離して、そのコミュニティの市民生活の安全を守るという、薬剤師の役割が現在まで続いている理由である。

(五)規格を創り出す努力 −−薬局方(処方集)の制定−−

貴方は、レストランによって、一人前のハンバーグステーキが、大きかったり、小さかったり、肉よりも玉ねぎが多かったり、という経験をしたことはないだろうか。食べ物の場合は、うまさの方が問題なので、普通は厳しくいわない。ビデオテープの場合にはもっと困る問題である。せっかくのテープがベータとVHSと規格が違うために、家庭で見られないことが起きる。ワープロのフロッピィ・ディスクなど、規格が統一されないで不便を感じていることは、周囲にいくらでも見つけられる。

薬の一人前の規格の不統一は、深刻な問題である。ある薬局では内容が濃く、他の薬局では薄いとなれば、薬はたいへん危険で、病気を治すどころではない。医師が薬剤師に薬を指示するようになると、問題になるのは薬の名称、質、調合法の統一である。

薬剤師は香料商人の流れを汲む体質を持っていたので、ごまかされることには、大変に用心深い警戒心を持っていた。同時に、ごまかすことも大嫌であった。薬剤師は、みんな同じ質と量の薬を売ることにし、同業組合の中で統一した規格が作られる事とした。

一四九八年にフローレンスでは、それまで親方から習い憶えた方法を守り、全体では、ばらばらであった調製法を一つにまとめることとした。今のA4判程の大きさで、八十八頁の小冊子を編集し、「ヌボ・レセプタリオ」(Nuovo Receptario Composto dal Famossismo Chollegio Degli Examii Doctori della Arte et Medicina della Inclita Cipta  di Ferenze; 偉大なるフローレンス市の医術と技に優れた医師達の最も著名な同業組合によって編纂された新処方集)と名付けた。その序文で「薬剤師組合の指導者達の要求によって」医師達が編集したと書いている。

この処方集は、イタリア語で書かれたが、その後一五一八年にはラテン語に翻訳された。この規格集は近隣の各国に影響を与え、薬局方の嚆矢といわれる。(A History of Pharmacy in Pictures; P & D Co.)

現在では、薬の規格は次第に世界的な規模で統一されようとしている。薬を混ぜ合わせるのに、規格が違うから使えないということはない。薬剤師は共通規格を作りだそうとする、職業体質をもっている。ヨーロッパでは、旅行者などコミユティを訪れる人々を対象に、どこの国の医師の処方でも(それが読める限り)薬が買えるようにしようと、今でも薬剤師の努力が続いている。医師が外国の薬でも、自由に指示できるよう、薬剤師達の長い年月にわたる規格統一に掛けた努力の成果である。

(六)内容公開と表示

近ごろ、菓子や加工食品の表書きに、原材料や添加物の名称、量目さらには製造年月日、保証期間などを記載するようになった。内容を知らされることは消費者にとって安心でもあるし、製造者にとっては、ずるいことができない足かせとなる。

薬では、もうずっと以前から、その習慣がある。製造者は全ての薬の内容表示を義務づけられている。有効成分などの表示をしなければ、いくら効く薬でも不良医薬品とされる、極めて厳しい規定がある。いかさま薬は許さないというのである。

薬は様々な使い方をされる。二つ以上の薬を配合することも少なくない。こうした場合に、内容が明記されていないと、同じ成分の薬を二倍も三倍ものむことになり危険である。それを防ぎ、安全に薬を使うために、どうしても内容の公開と表示が必要なのである。

また、薬は素人が内容を分析して調べるわけにはいかない。簡単な薬でも豪華な包装をしていかにも高貴薬に見せかけることもできる。薬剤師はこうしたごまかしが嫌いであった。使用者が騙し討ちにあわないため、全ての内容の表示を行なうように習慣づけたのである。

わが国ではそこまでの規定はないが、医師の処方で調剤する薬でも、品名と有効期限を必ず記載することを義務づけている国が多くなっている。貴方が内容表示のない薬をのむように勧められたら、それはいかさまであると考えてよい。薬剤師はどこまでも患者の安全を守ることと、開けっぴろげな体質を身につけてきたのである。



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