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DI被害(5,6)
薬業時報、1979/8/16
地下倉庫に鎮座する紙製ドラム缶
わが薬局の地下倉庫の一隅に、もう、十年以上も紙製のドラム缶が鎮座している。紙製とはいっても、硬くプレスした紙で胴が作られ、蓋は鉄板でできれおり、中に大人一人ぐらいは、らくらくと入れる大きさである。このドラム缶がわが薬局に現れた因縁から話を始めよう。
その頃というのは、製剤が急速に普及しはじめたが、まだ今日ほど多様なものでは無く、なんでも錠剤にしてみる、といった傾向が強い昭和30年代後半のころであった。サルファ剤の錠剤が薬価基準に収載されたり、削除されたりといった時代である。米国などへ行ってみると、カラフルなカプセルが使われたり、坐薬なども、かなり多様な製剤があって、珍しく感じられたものである。
日常の調剤で、散剤の混ぜ合わせと、その分包ばかりやっているうちに、たいへn「のみ」難くそうな「薬」にしばしば行きあたった。
「どうにも苦い薬ですね。のんだあと、一時間は、口の中が戻りませんよ」とか「他の方々は、どうしているのでしょう、本当にこの薬をのんでいるんでしょうか」
などという苦情を聞くのは稀ではなかった。試しにのんでみると、なる程と思うのもあるし、中にはさほどに感じないものもあったが、これは、むしろ、苦みを感じる度合の、個人差によるものかもしれないと考えたりした。
放って置くわけにもいかないので、カプセルに入れてみると、大変に好評「何時間待たされても良いから、カプセルにしてください」という患者さんも出てくる始末となった。
男の恥とばかり、それで結構と発注
ところが、当時の国産カプセルは精度に欠ける点があって、ボディとキャップがうまく、はまらない、もたもたしていると、カプセルが割れてしまう。というわけで能率があがらず、患者よりも、調剤する薬剤師のほうが、いらいらする結果、カプセル詰めは敬遠したい仕事であった。
以前に、米国でファイザ-やリリ-等を訪問した際に、精巧なカプセル製造機を見学して、互換性のある均質なカプセルを手にとって見て、使い易さの洗礼を受けた身には、どうにも物足りない現実であった。日本橋本町の問屋さんなどを歴訪して探したが、目指す品はどこにもない、まだ日本エランコなども設立されていなかったから、仕方のない話しではあった。
そのうちに「そんなに欲しいなら、他の製薬工場に納入するついでに、輸入してあげましょう」という問屋さんが現れたので、早速輸入を頼むことにした。ところが製造元に問い合わせたら、1ロットが最低でも20万個、できるなら百万個単位だという返事があった。
これには驚いたが、仕方がない。1日百個使って、1年で3万個、7、8年分に当たるかもしれない量だが、乗りかかった船、ここで引き下がるのは男の恥、とばかり、それで結構と発注してしまったのである。
誤薬と決め付けられ、小さな親切も徒労
六ヵ月程たって、輸送屋が届けてくれたのが、冒頭の、紙製ドラム缶である。開けてみると、ピカピカ光るカプセルが、ギッシリ詰まっている「これは大変なものを背負い込んだわい」というのが、その時の本音であった。
しかし、それから、調剤の能率は格段にあがったうえ、仕上がりも美しくなり、調剤の有力な武器になったのである。
さて、ここまでは前置きで、本論はこれからである。
―――――◇―――――◇―――――◇――――
「近頃、薬がのみ易くなりました」という患者さんの声に、やれやれこれで苦労も実ったわい、等と考えながら仕事をしていると、しばらくたったある日、
「お前の薬局で、処方せん通りの薬を調剤していないのは、誠にけしからん」と、のっけから興奮した口調で電話がかかった。
「私は、自分の貰った処方せんを読むことができるんだ、それで薬の内容について知合いの薬剤師に聞いたら、それは粉薬しかない、カプセルになっている筈がない。という返事があった。年のため、X大学病院や、Y総合病院の薬局のDI室に電話したら、答えは皆同じだ。じゃあこの薬は何だ、と聞いたら、そのカプセルの大きさと色合いなら、全然別の薬だから、のまない方が良いといわれた。とにかく、こんな無責任な話はない。間違いをどうしてくれるのだ」と大変な立腹である。そこで、のみ難い薬だから、わざわざ手間をかけてカプセルに入れていること。処方医も承知の上であることを説明したのであるが「間違いだったら素直に謝ったらどうだ」とか、どうしてもこちらの言い分を聞いてくれない。頭から誤薬と決め込んでいるのだから、聞く耳を持ってくれないのである。
“お墨付"相手では 街の薬局の言い分は
なるほど、一介の街の薬局よりも、大病院薬局のDIの専門家の話(情報)を信用するのが、むしろ当り前であるし、薬局での調剤は散剤が普通であって、まさかカプセル入りの薬を、街の薬局で造るとは思ってもくれないのも、不思議でないのだろう。それにしても、他人の詰めたカプセルを違う薬と決めつけるのも無責任な話である。
でも、とにかく、ばかばかしい話だ、と感じた。1年もかけて探し回り、やっと手にいれたカプセル、それも何年分もストックして、喜んでもらえるかと思ったら、反対に誤薬の疑いをかけられた、のである。
これに似た話は、いくつかある。市販品がないので、調剤で坐薬を造ったところ、その患者さんは厚生省の製薬課に電話したのである。
「そういった薬の坐薬は承認していないので、わが国では売られている筈がありません」という回答をもらって、売られていない薬が、何故、手に入れるのか、きっと、他の薬で代用したに違いない、という苦情である。
「その患者さんに合う薬が承認されていないから、承認された薬を使って、分量を合わせたり、剤型を変えたりするのが調剤なのです。調剤とは、そういう性質の仕事なのです」と説明しても、何分、相手は厚生省のお墨付を持っているので、街の薬局の言い分など聞いてくれないのである。
正しい情報も 誤れば副作用
だいたい、こうしたタイプに属する患者さんは珍しくもないが、また決して一般的ではないことはご承知のことであろうが、こうした患者さんに薬を信頼してのんでもらいたいと、日頃から、いろいろと努力を重ているつもりなのである。その努力を、簡単に踏みにじられるような仕打ちに合うのは、誠に情けない、寂しいことである。それも、権威ある、情報専門家が決め付けるのであるから、太刀打ちできる筈がない。
だから、DIがけしからん、というのではない。むしろ、今後、薬局の薬剤師の視点は、薬そのものよりも、情報などの方向に向けられることになると思われる。ドラッグ・オリエント(薬剤志向)の立場から、ペイシェント・オリエント(患者志向)に移るとするならば、DIはその大きな要素として、ますます重要となるに違いないし、むしろその動きの早いことが望ましいと思う。
しかし、その情報が、誤って伝えられたり、正しく理解されえないと、かえって副作用を生み、治療に逆効果となることの恐ろしさを、十分に理解して欲しいと思うのである。
と同時に、わが薬局で誤解され易い説明をして、他の薬剤師仲間に迷惑をかけないようにしたいと、自戒している。
さらに、こうした事件で、何より大切だと思うのは、調剤に工夫をこらそう、良い調剤をしよう、という気持ちを失ってしまい、努力しても報われないからと、真面目に仕事に立ち向う意欲をなくしてしまわぬようにすることではなかろうか。
地下へ下りると ドラム缶が・・と
今でも、地下へ降りて、このドラム缶の前を通るとき、フタを「ポン」と叩くことにしている。私にはドラム缶が「エヘン、随分と色々な事件がありましたなあ」と返事をしているように聞こえるのである。
使い切るのに、10年近くもかかると心配したのは杞憂に終わり、カプセルの評判が良く、数年で使い切ってしまった。そして、その頃から良質の国産品が出回りはじめ、わざわざ輸入することもなくなってしまった。現在は何種類かの国産の精度の高いカプセルが、このドラム缶に入れられて、相変わらず、わが薬局のカプセル収納庫の役目を果たしている。 |
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