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解説 世界一の開局薬剤師
『医』と『薬』(3,1,8)
木島 昴(開業医)、粕谷泰次(東京薬科大学教授)、水野睦郎(水野調剤薬局)

鼎談、厚生(厚生省公報誌)、昭和56年6月号


医薬“協業"
 木島  「医薬分業」、これは字句だけから解釈すれば、「医」と「薬」との分業。分業というのは、セパレ-ツとか、そういうようなイメ-ジが強いんですけれども、そうではないわけですね。
 世間一般的には、いままでドクタ-のところから、診察の後、治療の一部として薬も出ていた。それが処方せんをもらって、調剤薬局へ行って薬をもらう。医師の仕事と薬剤師の仕事が、そこで、いわゆる分業ということで、これが医薬分業だという受けとめ方をしておられるだろうと思うんです。
 それは形の上からすれば、確かにそうであるわけですが、ただそうやって仕事を分けたということだけでいいかどうか。何か一つほかに大きな目的があって、分業という形ではあるけれども、実はそうしたほうが、国民医療のためになるんだという目的があってなされることでなくてはいけないと思うんです。
 そういう目的論からいえば、分業という、何か「分けた」というイメ-ジの強い言葉よりは、「協業」と言ったほうが、目的志向的な表現としてはかなってるかもわかりませんですね。
 水野  確かに経済の一般的な分業ということと、医薬分業はちょっと違うんじゃないかとは思いますね。
 日本の場合には、明治のときに突然、分業するために薬剤師職業をつくってしまったという経緯があると思うんです。そのころは、何はともあれ欧米の文化を吸収する、制度を取り入れるというようなことで、それまで医師という職業があったのに、薬剤師という職業をつけ加えた。そのときの趣旨としては、むしろ医師の診察料が高過ぎるというようなことを、長与専斎(天保9年〜明治35年)が医務局長として「医制をつくりたい」という上申書の中で言っているんですが、経済問題で薬剤師職業が生まれたらしいということです。その後、日本の薬剤師とお医者さんが経済問題で争わなきゃならない宿命が、その辺から出てきているような感じがしているんです。
 いま先生のおっしゃったのは、そういう経済問題じゃない、むしろ技術的に医療をその2つでうまくやって、それこそ国民に質のいい医療を与えようというか、質のいい医療にしていこうじゃないかというふうに考えなきゃならないのに、「医薬分業」と言うと、何か印象が違うということを意味されてると思うんですけどね。

アメリカとヨ-ロッパの違い
 水野  ヨ-ロッパはヨ-ロッパの特殊事情があったと思うんです。というのは、昔から薬剤師という職業が――香料商人の分派と言われているわけですが――ありました。ヨ-ロッパは薬が社会に害毒を及ぼすということに、昔からかなり神経質だったとおもうんです。たとえば、男の武器は剣である。女の武器は毒薬である。貴族の間の殺し合いに薬を使ったということがかなりあって、むしろヨ-ロッパ社会は、昔から、薬を社会から隔離しておきたかった。お医者さんといえども、書きつけを出さなければ薬をもらえないようにしておかないと、うまくいかなかった。そういう、ヨ-ロッパ社会としての特殊性があって、お医者さんと薬剤師の関係ができていたと思うんです。
 その形を明治政府が、ただ盲目的に輸入してしまった。それも「お金」の問題で輸入したというところに、どうも問題があった。いままで医薬分業というと経済問題として取り上げられてしまった、いまでもそうだと思うんですね。保険財政とかね。確かに波及効果ということがあるかもしれませんが、本来はそうじゃなさそうだと認識を変えていただかなきゃならないところがあると思うんです。
 アメリカの場合には、社会が古くありませんし、ことにアメリカは競争社会ですから、独占的なというか、閉鎖的な薬剤師職業をつくり得なかった。ですから、医薬分業というようなことを言いましても、お医者さんが薬を出されるということは、いまでも多分法律で禁止していないと思いますし、地理的な関係というか、僻地とかでは、投薬するお医者さんもいらっしゃると思います。アメリカとヨ-ロッパとのお医者さんと薬剤師の仕事の割り振りは違うんじゃないかと思うのです。
 粕谷  私の場合、ずっと薬学に身を置いてきましたので、薬学あるいは薬剤師サイドの目から見ることになりますが、冒頭で木島先生から指摘されたお互いの職能の出し方という点で、「協業」であるというお話を印象深く聞いたんです。水野先生の言われるように、日本の場合、歴史的に見て「医薬分業」と言うと、医師と薬剤師との間の経済問題の絡みといいますか、耐えず何かこう相反するといったイメ-ジが、確かに強くあったと思うんです。
 ところが、医療という面からあるいは水野先生がご指摘のように国民、患者へのメリットという面からよく考えていきますと、結局、薬物療法についての質的あるいは内容的な向上を目指し、医師と薬剤師とが「協業体制を整える」ということに医薬分業の本質を据えるべきなのでしょう。
 そういう面では、アメリカではカリフォルニア大学を中心にして、薬学から医療に近寄るといいますか、患者さんを主体にした教育を扱っていくということを、いまから15、6年前から実践的に取り上げてきていると思うんです。つまり、木島先生の言われるお互いの職能の出し方としての協業という点では、アメリカの場合は教育段階ですでにかみ合っているんじゃないかという印象を持っているんです。

医薬分業のメリット
 木島  協業ということなんですけれども、言葉は分業として話を進めていきますと、医薬分業をやって、患者さんの側からしますと、経済的にはドクタ-のところで薬をもらうよりも高いですからね。ペイする部分が多いですからね。あるいは、1軒で済んだものを2軒行かなきゃならない。距離的な問題、経済的な問題では、分業のほうが患者さんとしてはおっくうな部分が実際あるわけです。あるけども、そのメリットは何かっていうことになってくると、そこはビジュアルな、あるいは数値であらわせないようなメリットを考えて云々しないと、どうかすると、目先のことばっかりで討論し合ってるような風潮がなきにしもあらずなんですね。
 水野  まさにそうです。
 木島  目先のことだけやってると、分業しないほうがいいと。患者さんは財布からたくさん出さなきゃならないし、2軒行かなきゃならないし、ばかばかしい。一言でこれは終わりになっちゃうわけですよ。そのあたりがメリット論のむずかしいところだし、文化としてとらえていくために、視野を広く考えないと間違うとこなんじゃないかと、私は常々そう思ってるんです。
 水野  先ほど申し上げましたように、日本で始めたことはまだアメリカが「先生」の立場になり得なかった時代だったので、どうしてもヨ-ロッパを先生にして、無理やりというか、大変早く制度ができてしまった。古典的医薬分業の時代だと思うんです。
 薬というのはいろいろ性質があって、医療の中で使われる薬もうまく使えばいいけれども、悪く使えば麻薬問題があり、それ以外の耽溺性依存性のある薬での青少年問題から、いろいろ出てまいりますね。そういった薬の性質の多面性をうまく抑えることに、その人たちが責任を持つ。薬のいい面だけを生かして、社会に貢献するような使い方をさせる。そういう目的を持っているのが、本来的な薬剤師職業の本質であったはずなんですが、残念ながら日本の薬剤師教育、薬学教育では、薬剤師はむしろ調合の技術者であるということにされていた。大変視野が狭かったんじゃないか。木島先生がおっしゃるように、先の見える――これは行政もかかわってくることだと思うんですが、職業人として幅の広い視野で薬を見て、適切な薬の使われ方を推進していくというような考え方が欠けていたことは、もちろん薬剤師側として反省しなきゃならない点だとおもうんです。
 その次に、次第に工業化社会になりまして、そういった調合の技術者なんていうのは必要ないんじゃないか、と言われる時期が、第二次世界大戦の後あったわけですね。そのときに、いま粕谷先生が言われたように、特に米国の薬剤師を中心にして、自分たちの役割りを変えていったんです。
 というのは、薬物治療の質というか、内容が複雑になって、むずかしくなってきた。昔は調合だけに目を向けていればよろしかったかもしれませんが、それだけではいけない。たとえば特異体質、アレルギ-の問題から既往症、その人の職業特質とかにまで気を配った、丁寧な、慎重な薬物治療がなされなきゃいけない。例をあげれば、ペニシリンなんかがそうですが、大変に厳しいアレルギ-なんかが起きる。では、ペニシリンは役に立たないかというと、いまだに医療では大切な、役に立つ薬です。けれども、慎重な扱い方をしなければ、むしろ危険きわまりない薬と評価されるようになってきた。そういったところへアメリカの薬剤師の目が向きまして、調合の技術者じゃない、薬物治療に関する情報の管理者である、というふうに変わってきたわけです。コミュニティ-といいますか、その地域で、もしくは病院の施設の中で、薬剤師が薬を与えるに十分な情報の管理をすることによって、お医者さんは安心した薬物治療ができる。質の高い薬物治療ができる、ということです。わが国ではそういう変化が、古典的な医薬分業理論とどうもしっくりいってないという感じがあります。
 古典的な分業論では、社会の中で薬の置き場所を制限するというか、分けることに意味があった。現在では、それよりも医師だけでなく、薬剤師も協力して薬物治療の安全を守る、質の高い薬物治療を行う、つまり両者の協力に意義を認めよう、という見方をとるようになってきた。つまり多少不便でも、一元的な薬をそれも、慎重な記録によった薬の投与を行えば、当然国民にメリットとして返すことができる。また、お金が高くなることも、それだけ慎重な治療をすれば当然お金がかかるわけですから、その辺を国民が理解をしてくれるようになれば、この制度は将来がある。
 木島  確かに分業論というのは、どうかすると非常に狭視野的な段階で論争されてて、大事なことを見失うことがあるんですね。実際ぼくなんかも分業をやってみて、患者さんと話すときには、どうしても現実のトラブルが当然多いわけですけども、そこは人を見て法を説けみたいな、長い気分で患者さんに教育をしてるつもりです。
 水野  どうもありがとうございます。われわれが薬局から薬を出すときに、そういう慎重さが、むしろ患者さんの薬に対する恐怖心をあおり立てるような結果にもなりかねないのです。この薬なら、薬剤師も医師も両方でチェックして安心なんだから、もっと信頼してのんでもらいたいと考えるわけです。ところが、先生方初めとしてわれわれが「アレルギ-ありませんでしたか」というようなことを聞きますと、むしろ不安をあおり立ててるような感じになることがあります。確かに患者さんに対する教育というか、患者さんの信頼感を得るのは非常にむずかしい仕事のように思いますね。

薬剤師教育を反省
 粕谷  そういう意味では、先ほどのお互いの職能の出し方ということに、いま水野先生がお話しになったような面からちょっと戻りたいんですけれども、お互いの職能の出し方というのは、セパレ-トした、つまり患者さんが全然介在していないという形では出しようがないと思うわけです。
 これについては木島先生から、薬剤師に、あるいは薬学教育に欠けている部分は何か、ということを率直にお話ししていただきたいと思うんですけれども、われわれサイドからの反省は、先ほど水野先生が言われましたように、薬剤師というと、ともかく調合するという、技術的な面でのこだわり意識が確かに強かったと思います。特に薬学サイドから、先ほどの木島先生のお話にかみ合えるような意識を高めていくこと、つまり薬剤師であっても医師とは違う面から医療あるいは薬物治療に、自分たちの専門性をもってかかわっていくには、医師との協調性は無論、医師がどういう方針で治療を進めているか、またどのように患者さんと接しているか、ということなどについて十分把握した上でないと、自分たちの専門性自体出しようがないということを重要問題として採り上げる必要があると思うんです。
 ところが、これまで薬剤師は確かに、調合の技術的な面を中心に採り上げてきた。また薬学教育はどうかと言うと、薬を患者さんと結びつける、つまり治療という面に一歩踏み込んで薬を見るというより、よく言われることなんですが、薬を単純なものとして見るという感覚が非常に強かったという事実は否めないわけです。
 水野  それはこの間、木島先生が講習会で薬剤師諸君に直言すると言われた「医療の心」がないというか、足りないと。それは非常に耳の痛いことなんですけれども、われわれ薬剤師はただ薬だけを見ちゃうんですね。ものを見ちゃって、その後ろにいる患者さんがその薬をのんでくれる、「のんで治ろうと思っているんだ」という感じを意識するのに欠けることがある。
 木島  それは医薬分業をして、いろんな薬剤師の先生とおつき合いをして初めてわかったことなんですけどね。というのは、これは医学教育の話になってしまいますけれども、ぼくたちが患者さんと接しているということは、教育の中にかなり早くからあるわけですよ。ポリクリ(臨床の実習)にしろですね。自分でさわれないまでも、患者さんを中心にして、ながめる、あるいは講義を聞く。次には、さわることができるわけです。さわって、診断をする、あるいは血液をとったり、そういったクリニック(臨床)のことがある。もう1つは、大学に付属病院がありますね。付属病院での実習が済めば、今度は地方へ出ていったりいろんなことがある。
 薬学の教育もそれと同じようにいままで考えてたわけです。だから、付属薬局といいますか、付属病院に似たようなものがあって、薬の後ろに患者さん、臨床につながった温かいものが、理屈じゃなくて、いつも感じられるものがあるんだと思って、いろいろとお話を聞いたら、実はカリキュラムにもそれがない。最終学年のころ、希望して大病院へいらして、調剤室へ入ったりしてマスタ-するのが実情なんだということから驚いたわけです。今度実際に分業をやってみて、分業の管理薬剤師に成った薬剤師の先生たちが、若い薬剤師さんをおやといになってて、どうも医者とは一味違う、病人とか患者さんに対する理解や包容力がない、困ったことなんだ、という声をよく聞きますね。
 この間もそんなことを話し合ったことがあるんですが、医師、看護婦はやはり患者さんをはだに感じている、薬剤師はそれが欠けてたんだと。このことは、分業に水を差すような方向に行っちゃいけませんけれども、今後この問題については、大急ぎで対策を講じなきゃならない問題と長期的な問題と2つあると思いますけれども、やはり医療人としての薬剤師素養といいますか、薬学教育が見直されなくてはいけない部分がかなりあるんですね。これは、分業をやってみて初めて発見したこともあるように思うんですけれども。
 水野  それが本来はもうちょっと前に問題になってしかるべきというか、わが国でもそういったことを強調されている方々が少なからずあったわけですけれども、残念ながら日本の場合には、いまだに病院の場合でも、調剤所、薬局は地下にあって、直接病室の患者さんにも関係ない。ファクトリ-というか、工場的薬局、工場なんですね。
 その辺、アメリカでは、早く工業化が進んでしまいましたので、製剤を自分でやらないで、製薬メ-カ-がやってくれるという事態に対応して、ドラッグ・オリエンテッド(薬剤志向)じゃなくて、ペイシェント・オリエンテッド(患者志向)であるべきだと、60年代から気がつきまして、大転換をしたようです。全部の薬学教育が転換したわけじゃなくて、医療に従事する薬剤師の教育が大転換したわけですけれども、その中でもカリフォルニア大学なんかが画期的だったんですが、そこで粕谷先生は熱心に勉強されたわけですね。ですから、粕谷先生は日本に帰ってこられてびっくりされたんじゃないですか。旧態依然というか・・その辺の印象はどうですか。
 粕谷  旧態依然というか、私自身、学部の薬学教育は日本で終えているわけですが、薬と実際治療との結びつきを感じされるような教育は確かに受けていなかったわけです。薬学の教育では化学とりわけ有機化学を中心に教わったわけなんです。木島先生のお話のそれこそ患者をはだで感じるような、あるいはせめて間接的にでも薬物治療ということを介在して、患者が念頭に置かれるといった意味の薬の扱い方は、私が受けた薬学教育の中には残念ながらなかったわけです。
 アメリカでもカリフォルニア州は、いろいろな面で、何か新しいものを採り上げるのが早いとよくいわれますが、クリニカルファ-マシ-の教育にいち早く着手したカリフォルニア大学の薬学教育は私から見ると、かなりショッキングなものでした。薬学教育が、あるいは薬剤師の仕事が、患者を介しての薬物治療と密接に結びついているということを知り、「旧態依然たる日本の姿」に、帰ってきてショッキングだったというより、まずそういうのを見たときに大変ショッキングな印象を受けましたね。
 日本の薬学教育との内容的な面での違いにびっくりしたというわけで、日本の薬学事情については留学前にすでに知っていたわけですから、心変わりというのもおかしな表現かもしれませんが、日本へ帰ってから薬学教育の違いというのを見る上では、むしろ「やはりあるな」という感じが先だったといえるんでしょうね。特に、水野先生のお話にもでましたけれども、薬をペイシェント・オリエンテッドに見る。それから木島先生の言葉をお借りすれば、患者をはだで感じる部分、薬を背負って薬剤師としてはだで感じて、それこそ医療人としての薬剤師として医師に協力し、自分たちの専門性をどういう面で生かすかということについては、日本でもいろいろとイメ-ジ的な言葉はチラチラ出てくるんですが、日常の実際的な仕事の段階になると、なかなか具体的な活動となってあらわれてきていない。このことは、われわれ薬学サイドから大いに反省しなきゃならないと思います。

医薬分業は文化的
コミュニティ-の一形態
 木島  私思うんですが、分業という形のほうがとにかく先行して、誤りない分業が進んでいけば、徐々に本来の目的が達成されていくんじゃないかと思うんです。何かせっかちに、あしたからでもきれいに分業の形が整うというようなことを、われわれは少し早く考え過ぎるんじゃないかという気がするんです。
 それはやっぱり、水野先生もおっしゃった長い日本の歴史があるわけで、いい悪いは別としましてね。それと文化の発達といいますか、そういった高学歴化社会は、医療だけでなくて、広い視野で見たら、すべての問題で分業が行われてるわけですね、実際に。それが人間社会にとってはメリットがあるように、より向上した人間社会であるためにということで、社会全般が分業の形態を整えた協業であるのが、私は文化的なコミュニティ-のあり方だと思うんですね。「医薬分業は」は、その中のごく一部分だけ取り出して言ってることであってね。
 極端な言い方をすれば、日本の場合、もしプリミティブな医師の姿をややこっけいに描いてみたら製薬工場も薬剤師も医師も、全部ひとりでやってきたんじゃないかと思うんです。何か生薬を探してきて、薬をつくって・・。
 水野 神農さんみたいにね。
 木島 そうそう。そして一服進ぜよう。ありがとうございましたと。これは実は社会全般から見たら、低学歴化社会で、分業するにもそれぞれの職能を生かせるほど進歩していなかったわけですから、そういうぬきんでた者がいても仕方がなかった。オ-ルマイティ-性は許さざるを得なかったんじゃないかと思うんです。ところが、それの影みたいなものが残っていると思うんです。したがって、メリットなんかについても、医師、薬剤師それぞれの職能を生かせることが、地域の人にとってどんなメリットがあるのかということをせっかちにあらわそうとすると、なかなかむずかしいと思うんです。
 いろんな問題もありますけれども、とにかく身近な例では、分業してよかったと思うのは、医師側の立場からしてみれば、薬を買って、薬を自分とこで保管をして、そして調剤という、まあ率直に言えば煩わしさ――薬は煩わしいと言えば語弊がありますけれども、そういうことをしなくても済むんだったら、それは専門家に任せて、そのかわり、その分ういた時間だとか経済を、自分の得意なほうにもう少しつぎ込む。それがひいては患者さんのためになってるという自負心がなかったら、分業はドクタ-としてはできないと思うんです。
 水野 薬剤師の立場から言っても、まさにそうなんでしてね。ただ自分の仕事をふやすために患者さんに不便をかけ、お金が高くなるというんじゃ、今の社会でこれはもう始まらないわけです。
 やはりお医者さんは非常に忙しいというか、いまおっしゃったようにほかにやるべきことがたくさんおありになるわけですから、われわれが薬の管理をお引き受けすると同時に、いわゆるコ-ディネ-トして仕事をしていく。つまり、いろいろな薬に関して、お医者さんが判断をされるデ-タを適切につくるところまで、われわれの作業というか、本来的な仕事の一部としていたしましょうと。薬物治療に関して薬剤師が患者さんのインタビュ-もどんどんやりますし、デ-タもいただいて整理をして、次の機会の判断の資料にしていただく。
 その辺、先ほどから私が申しておりますクリニカル・ファ-マシ-の立場では、そこまで薬剤師がやっております。これは、薬剤師のほうが勝手に薬をかえてしまうとか、そういったことじゃなくて、お医者さんとコミュニケ-ションをもっとよく図っていくとか、それからカウンセリングというか、コンサルティングというか、お医者さんに対する下調べ、資料の作成、それまでの結果の整理とか、薬物治療の安全を守るために是非とも必要であるが、忙しさにかまけてこれまで行われなかったことを、この際やりましょうということです。そこまでやらないと、われわれとして国民からお金を払っていただく、国民が感じるメリットにふさわしくないんじゃないかと考えるわけです。

患者のための分業制度
 木島 それから分業をやってみて、患者さんが身近に感ずる問題というのは、薬に関してこれまでは、ドクタ-とはなかなか話ができなかったけれども、分業してみたら、薬剤師さんとはよく薬のことを話せると。それと逆に後から薬剤師さんから聞くと、「へえ、そんなおもしろい質問もしてるの」というようなものもいっぱい出てくるわけです。診察室の中では、時間的な問題もありましょうし、非常に言いにくいということもあったのかもわかりません。それが調剤薬局ではそういう話をしていた。それはただつまらない世間話じゃなくて、その中に健康情報としての大切なものが出ているわけで、それは分業してみて率直に感ずる一つのメリットだと思います。
 もう一つは、どこの地域でもこのごろやってらっしゃると思うんですが、日曜とか休日の診療所があるわけです。官設民営とかいろんな形がありますけども、私のところでは、官設の診療所に医師が交代で勤めてるんです。それの薬局部門は薬剤師会から出てもらって、薬剤師会立調剤薬局が受けざらになってこれをやっているんです。
 それがなぜメリットかという問題は非常にむずかしい問題でありますけれども、市民サイドから見て、町の薬剤師さんが医師会と非常にうまく呼吸があって、薬をつくってくれてる。夜も当番で、医者も薬剤師も出てると。いちいちそこまで考えないにしても、そういった地域医療活動の積み重ねが市民に浸透してくる効果は、医療に対する信頼度を高めることにもなるでしょうし、医師にしろ、薬剤師にしろ、地域健康の問題の発言権を強めることになると思うんです。それをメリットとして数字であらわせなんて言われると困ります。むずかしい問題になりますけれども、文化の重さとしては、そういったことが大きなメリットになるのだと思います。
 水野 いままでのお話はもっぱらペイシェント・ケアということであったわけですけれども、いまの先生のお話は、コミュニティ-というか、地域のヘルス・ケアということで、そういった面では、確かに薬局のほうが庶民性があるというか、話しやすいというところがありますね。その辺をうまく使っていただけると、もっと質の高い地域のヘルス・ケアができるんじゃないかと思います。
 木島 ありますね。分業して、笑い話みたいなことがあるわけです。たとえば葛根湯なんてのは、このごろの子供はだれだって知ってますね。落語にも出てくるし、処方せんを切って、待合室で子供が読むんです。「あ、また葛根湯だ」と(笑)。かぜの処方はあと鎮咳きよ痰剤とかいろいろありますが、その度に変えるなんてこともない。そう変わったものはないですね。そうすると、処方せんをもらっている子供たちの中に覚えてる子がいて、「あ、この前と同じだ。君のを見せろ」「あ、同じだ」なんてね。このことは度量を狭くして考えると、医者の神秘性みたいなものがすたれていくように考える節がないでもないかもわからない。処方のふたをあけてみたら、そう変わったものはあまりないわけですから。
 しかし、問題はもっと大らかに考えるべきだ。かぜなんていうのは病気の中で一番多い。だから、かぜに対する薬はそう変わったものがあるわけじゃない。それほどポピュラ-なものは、早いうちにたたいて治しておかないと、万病のもとなんだよ、という健康教育がそこにあるわけですね。何かこう、処方の秘密性みたいなものがすたれていくように思ったら、分業はしりつぼみになる。つまり、技術公開の1つである。
 水野  またそのときに、薬剤師側もむしろそういう普通の薬をチョイスすることが大切なんで、ケ-スが多くて簡単な病気にはそんなむずかしい薬を使う必要がないんだし、しかし、そうかといって、じゃ葛根湯のかわりに何かほかのものを使ったらいいかというと、そうじゃなくて、やはり葛根湯の「症」があるわけでしょうから、患者さんに適切な説明をして、先生方の援助ができるというのも1つの仕事だと思うんです。
 と同時に、そういうときにも結構問題があるんです。たとえば、鎮咳剤に血圧上昇成分が入っている。配合剤ですから、それを先生もお気づきにならないということもある。それが患者情報から、あの人は高血圧であるし、心臓もちょっと問題がありそうだということで、それを先生に連絡して、血圧上昇成分のないものに変える。それから、普通の胃散だと思ってのんでる薬に、たとえばアトロピンが入っておりますね。それと先生方のお出しになる処方せんの中にアトロピンの類似の薬があって、それを両方のんで、のどが渇いたとか、目がギョロギョロするとか、先生方の薬が悪いんじゃないかと。そういったときに、アトロピンが二重に処方されてることについて、先生方と連絡して、それを変えてしまうとか、前からのんでいる胃散をやめなさいとか、そういった細かい指導をすることが大切だとも思います。
 木島  そう、大切ですね。現実に水野先生のところでもおやりになっているんですけれど、私が見聞した例でも、埼玉県のあるところで非常に熱心にやっている調剤薬局ですが、薬歴簿の整理がうまいんです。うまくて、処方せんを発行しているお医者さんがかなりありましてね。患者さんの中には、ご存在じのように、健康保険の1つの弊害でもあるんですけども、何軒ものお医者にかかって、医療の浮気をしているのがかなりあるわけですね(笑)。数軒のお医者さんにかかってる。薬をどっちか1つでなくて、両方もんでる人もあるわけです。
 そうすると、調剤薬局のほうの薬歴簿によって、薬剤師側からドクタ-に情報を提供して、この患者さんはどうもよそでも薬が出てて、たくさんのむ恐れがあるけれども、どうしましょうかと。情報をかなり整理して提供しなきゃなりませんが、そういうようなことが行われて、非常に助かってることがあります。その場合も、医師、薬剤師間のコミュニケ-ションがよくないといけないし、そういったことが変に感情問題でこじれたりすると、またちょっと厄介になりますからね。
 水野  感情問題でこじれたら、そこはおしまいですね。
 木島  そうそう。
 水野  ですから、どうしてもそこの間に人間的な関係が要る。その人間的な関係の基盤が技術的な問題である。その技術的な問題も、いまおっしゃった浮気だけじゃなくて、たとえば内科に通ってて、ある先生がステロイドを出した。ところが、その患者さんが、皮膚科に行ってまたステロイドをもらう。歯科に行ったらまたステロイドをもらってくる(笑)。
 木島  なるほど。
 水野  単なる浮気じゃなくても、名医であればあるほど重なりますよと言うんですけれども、デュプリケ-ト(重複)した処方せんは案外あるもんですね。ことに専門が、だんだんに分化していく傾向にありますから、そういった問題をどこかでチェックするのは、薬物治療では大切だと思っております。
 木島  そういう問題も、医師会と薬剤師会、同時に薬剤師個人と医師個人の両面からコミュニケ-ションをよくしていって、それにプラス、情報のサ-ビス網をきちっとやっていかなきゃならないということが、今後の大きな課題だと思うんです。それもせっかちにやろうと思ってもなかなかできない問題ですけど。
 粕谷  先ほどペイシェント・ケアあるいはヘルス・ケアというお話がありましたけれども、結局、木島先生が言われました、患者側から見た場合に数値であらわせないメリットというのは、逆に医師、薬剤師の側からしますと、患者を中心に置いて、医師-薬剤師間のコミュニケ-ションがうまく転がりだせば生まれてくるものなのでは・・。たとえば、医師から患者さんに薬について何か説明があったとして、一方で薬剤師はそれとは違った説明を患者さんに与えてしまうなんていうことは、医療あるいは治療を進める上では混乱をきたすことにしかならないわけですから、結局医薬分業ということを問題にしても、患者さんのためになっているということで、医師と薬剤師との土俵が一緒になってくれば、相互のコミュニケ-ションの上でも、各自が勝手な専門性を出すということではなくて、あくまでも真ん中に医療あるいは患者さんを置いていくことで。患者さん側から見たメリットも、少しずつ具体的な解答となって出てくるような気がするんです。

地域での医師、薬剤師の連けいを
 木島  それは確かにそうですね。そういったものを具体的に進めるためには、地域で組織を持ってるところと持ってないところとでは大違いですよ。その組織というのは、早い話が地域医療協議会とか、地域保健協議会とか、いろんな名前がありますけれども、地域でいろんな健康の問題を協議し合う組織があるわけですね。私の地域でもあります。全国でもかなりありますけれども、そういったところには各界の代表が出ているわけで、休日診療所をつくろうということも話題に出るでしょうし、分業の問題だって出てくるでしょうし、これは大きな意味で市民全般への浸透力が強くなります。
 だから、分業が一番むずかしいのは、そういう面で地域的にも耕されてない、それから、医師会とか薬剤師会のコミュニケ-ションもうまくいかないというか、まだ育っていないという地域ですね。ところがそういうところでも医師、薬剤師の個人的なものはある。じゃ、個人的にマン・ツ-マンでやっていこうかということになる。すると、個人ではうまくいってるようだけども、そのほかのところがどうも分業に理解がないから、そこでいろんな凹凸が起きるということは、間々あることですね。
 水野  薬剤師側の反省としては、そういった地域の医療に関する協議会とかいろいろなところで、現代的なというか、ヘルス・ケアないしペイシェント・ケアに関する薬剤師の役割りをはっきり説明できないところに弱さがあるようですね。つまり、古典的な医薬分業という、お題目的な、観念的なことを主張することにとどまって、今の社会が要求している薬剤師の役割りを皆さんにはっきり提示できない。その辺が大変な反省材料として、われわれ自体にあるんじゃないかと思います。
 木島  地域の組織としては、医師会と薬剤師会とを単純に比べてみると、組織力といいますか、会員が寄り集まって建設的なことを話し合おうという育成の仕方は、はるかに差があるように思いますね。
 水野  というのは、いままで医師側というか、お医者さん側は、地域の医療におれたちは責任があるよと、とにかく思っておられたと思うんですけども、薬剤師側はまだそこまで感じてない人もいますし、単なるビジネスとして調剤の仕事をしたいというぐらいですと、やはり迫力がありませんですね。
 木島  そうですね。全国的に見ても、分業が非常に進んでる地域というのは、逆に医師会、薬剤師会の地域でも提携のいいところが多いです。
 それから、いまいろいろ問題になってますが、これもせっかちに片づけたら大変なことになりますけれども、いわゆる第2薬局の問題などでも、進歩した地域では、医師会、薬剤師会で無理のない規制をきちっとしてますよ。
 水野  第2薬局という問題が出てきたんですけど、経済主導型というか、経営主導型の組織は、やっぱりいただけないような感じがいたしますね。先ほどから問題になっています、患者さんに不便とお金を払わせるわけですから、単に医師と薬剤師の間の経済問題だけでは、ちょっとお粗末というか、いい制度なんですと言えない感じがしますけどね。
 木島  そうですね。
最近のアメリカの実情
 水野  アメリカではドラッグ・ヒストリ-とか、ペイシェント・インフォメ-ション、ペイシェント・プロフィル、そういうものを集めて、ドラッグ・オリエンテッドじゃない調剤をしようという雰囲気はかなりあるんですか。
 粕谷  特にこの10年、あるいはもう少しで欲張ると15年ぐらい見ていいと思うんですが、薬剤師サイドからいかに患者さんを見るかという問題意識のあらわれはかなり広がって、加速度的に進んでいるという見方ができると思います。
 ただ、これには薬学の教育段階からの取り組み、たとえば薬学部の学生が医学部の学生と一緒に教育を受けるというような土台がありますので、単純に考えの上からだけで進んでいるんじゃないという強みがあります。確かに薬剤師がペイシェント・オリエンテッドということで、開局の薬剤師でもペイシェントのデ-タをそろえるとか、ドラッグ・インタラクションのことを患者さんのために問題にするという動き、あるいは日常業務の中でそのような活動を実践していくという傾向は、どんどん広がっているように思います。
 水野  いま資格としては、たとえばカリフォルニアなんかどうなんでしょう。クリニカル・ファ-マシスト以外にはできないとか、そういう資格の問題ではなくて、実体的に広まっているということですか。
 粕谷  州によって薬学の修業年限が違うとか、いろいろなことがあるとは思いますが、全米で共通していますのは、各州で薬剤師の資格を取得するための試験、――日本の薬剤師国家試験に相当しますが――を受けるには、最低5年の薬学教育を受けなきゃいけないわけです。で、州の薬剤師試験を受けるのに、大学によっては6年の教育をやっているところも多いわけです。薬学部の教育として6年やりますと、ファ-ムDといいますが、ドクタ-・オブ・ファ-マシ-という称号を与えているわけです。これは、6年の医学部の教育の後与えられるドクタ-・オブ・メディシン――MD――に相当します。6年の教育を受けてない、従来のファ-マシストができないことをファ-ムDならできるといった、資格の違いによる業務活動の違いはないと考えていいと思います。教育年限の違いから、称号の上でファ-ムDが与えられますが、いままでの薬剤師はクリニカル・ファ-マシストが行うような活動に目を向けてはいけないということは、もちろんないわけです。法的にファ-ムDはこれこれに手をかけられて、いままでの薬剤師はたとえ経験を積んでも、手をかけてはいけないといった決まりがあるわけではないんじゃないでしょうか。過渡期という一面もあることとも言えるのかもしれません。
 水野  実際にはそういったファ-ムDの、6年なら6年の教育をして、だんだんに水準を上げていこうという方向に動いてるんですか。
 粕谷  ええ、それは間違いなく・・。クリニカル・ファ-マシ-教育では、それこそパイオニア的存在といえるカリフォルニア大学で採り上げている内容の教育についても、いろいろな見方があるわけですから、クリニカル・ファ-マシ-ということで、どの大学でも同じ教育をしているわけではありません。全米で薬学部あるいは薬科大学が70数校あるわけですが、薬学教育の中でペシシェント・オリエンテッドな面を強調するということでは、いまでは恐らくほとんどの薬系大学に一致していることと言えるんじゃないかと思います。
 水野  アメリカでもそういったことを言い出して、もう20年ですね。
 粕谷  言い出してからは20年、実際的に手をつけて15、6年でしょうか。
 水野  いま、日本でもそういったことがだんだん問題になってますから、あと10年ぐらいたてば、そういう卒業生が出てきて、木島先生がご心配のようなところが、だんだんに減っていくんじゃないでしょうか。
 木島  ぼくはね、最近読んだ雑誌で、アメリカの調剤薬局のことですけれども、印象に残ったことが3つあるんです。州の名前はちょっと忘れたんですけど、アメリカの薬局の実情を紹介してあったわけですが、その3つはそれぞれ、日本でやっぱり問題になっていることなんです。
 1つは、薬歴簿の保管室のすごいのを持っているんですね。もう亡くなった患者さんで、おじいちゃんやおばあちゃんのもちゃんとありますしね。
 水野  ファミリ-・プロフィ-ル(家族薬歴)ですね。
 木島  そうそう。それがコンピュ-タ-を入れてという近代的なもんじゃなかったところがかえっておもしろかったんですけど、ちょうどワインの倉庫みたいなすごいのを持っていて、それが非常によく整理されている。そして、イギリスのドクタ-の中に発達しているような、家族としてとらえる体質がある。薬とファミリ-というとらえ方が、かなりそこでできているんだと思うんです。これは分業が定着していけば、日本でも何年か先には・・。しかも、日本の場合は当然コンピュ-タ-処理されていくわけでしょうけれども、それに1つ驚いたということ。
 それからもう1つは、薬の配達をしてるんですね。これも、分業をやって何年かたつと、次に問題になることなんだと思います。これほど高齢化社会になってきて、しかも、いつも天気のいい日とは限りませんからね。雨の日とか嵐の日があるし、薬をとりにくる人も年寄りであるというような場合に、フッとぼくたちは、薬が配達されたらなと思うことが実はあるわけです。日本の健康保険制度では、いまそんなことはちょっと口に出せない状態なんでしょうけれども、アメリカのそれはもちろん有料なんです。まあ、保険の事情が違うでしょうけれども、それが全体の1割あるとか書いてありましたね。やはり配達ボ-イがいて、配ってるんですね。
 それともう1つは、電話処方が非常に発達してるということ。これなんかも、分業が日本に定着してきたら、当然考えなきゃならない具体的な問題でしょうね。
 水野  先生の指摘された3つは、まさに今の問題なんですね。薬歴簿は現在でも、調剤にまじめに取り組もうという薬局では、かなり持ってるところがあります。
 木島  それはそうです。
 水野  患者さんの情報は永久にとっておく。コミュニティ-が安定してれば安定してるほど長くとっておく理由があるわけです。流動性の高い地域はそうはいきませんけれども。
 それでいま問題なのは、これも健康保険の問題ですけど、情報処理の費用は大変高くなりましてね。情報というのは目に見えないわけでして、それでなくても分業にすると高くなるじゃないかと言われるときに(笑)、われわれとして非常に困っているところなんです。もう1つ大切なのは、プライバシ-の問題がございますので、簡単に情報を外に出すわけにもいかないんですが、慎重ないい管理をすれば、大変患者さんのためになると思うんです。
 もう1つの配送なんですが、薬を患者に届けるということを、地域保険のボランティア活動の中に取り入れられないだろうか?そういうものを含められないでしょうか。
 また薬歴簿と関連しまして、薬を持っていってはじめてわかることがあるんですね。つまり、先生方が往診されると、家庭環境がおわかりになるのと同じようなことだと思うんですが、われわれ持っていきますと、いろいろわかりましてね。日野原先生(聖路加看護大学)が書いておられましたが、心臓病の患者がエレベ-タ-もないアパ-トの5階に住んでいた。病院にいたら全然わからなかった。実際に調べてみたらそういうことで、それでは心臓病気の治るはずがないと。薬の場合でも、持っていきますと、大変参考になることがあるんです。
 木島  そうですね。
 水野  メッセンジャ-ボ-イに配達させるんでなくて、薬剤師自身が持っていきますと、のんでる実態をつかめますし、そこでクエスチョン・アンド・アンサ-もできますし、これもただ便宜上の問題としてでなく考えなきゃいけないと思いますね。
 木島  数が多いと、また別の問題が起きてきますね。
 水野  そうなんです。
 それから、電話処方のほうが本当は合理的なんです。医師と薬剤師のコミュニケ-ションが、すぐできるんです。
 木島  そうそう。もう、即座にやれるんですね。
 水野  プレスクリプションというのは、薬物治療に対する命令であって、あらゆる通信の手段を使ってよろしいということになってるようですね。ですから、電報でもよければ口頭でもいいし、電話でもいい。日本の場合には、処方せんという文書が必要です。アメリカなどでもリトン・プレスクリプション(文書処方せん)ということで、麻薬なんかの場合にはちゃんと書かれたものが必要のようですが、それ以外はむしろ直接のコミュニケ-ションのほうがよろしかろうと。
 木島  もう1つ、こんなこともありましたね。これはどこかの州できちっと決まってることなんだそうですが、医院から何マイル以内に薬局のない場合は、ドクタ-のオフィスで薬を出す。これは日本でも大きな問題が残されている点だと思いますね。実際分業云々が素直にできる地域というのは、やはり都会地を中心にしたその周辺なんですね。日本の田舎に入ってみれば、ドクタ-も点々としかないし、薬局もない。私、去年もだいぶ全国を回ってみたんですけども、薬剤師免許を持った薬局はあるわけですが、そこへは行って分業云々というような話をしても、「いやあ、そんなめんどうなことは結構です。いまのままでいいんだ」と。それがいい悪いじゃなくて、実情なんです。だから、画一的に考えないで、地域特性をかなりきめ細かく勘案しながら、柔軟な頭でやっていかないと、また失敗しますね。都会で考えることと田舎とはちょっと違うんです。
 水野  都会もそうだと思うんですね。いままでは薬局の立地というのは、むしろ人通りが多くて、駅前とか、バスの停留所のそばとかいうことだったんですが、それは必ずしもその地域の医療需要と合致していないという点がありますのでね。そういった立地については、薬剤師側が真剣に考えなきゃいけないことでしょうし、いままでいいと思ってたところが、医療需要からすれば意味がないところであるということになるでしょうね。(56・4・20収録)

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