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諸外国の医薬分業と地域保健(3,1,5)
公衆衛生 Vol.39,No.2,別冊;1975年2月
昨年来の医薬分業気運
昭和48年2月、短波放送を通じて武見医師会長は今後5年のうちに医薬分業を実施しようと、薬剤師に対して提言した。その後、8月に開催された中央医療協議会で医師の診療報酬に改訂について審議が行なわれたが、その際に、医師が処方箋を書く報酬である処方箋料を大幅に増額して、1回当り500円とすることとなり、10月1日より実施された。
これまで医薬分業は薬剤師が主張し、医師側が反対し続けていたものだけに、この提言の裏に何か罠でもあるのではないか、と疑うなど、医師会長の意図をはかりかねる者もある一方、明治時代からの長年の悲願である医薬分業の達成の日は近いと単純に喜ぶ薬剤師もあり、かなりの混乱があった。
また、現在の医薬品は製剤技術の進歩によって、錠剤、カプセル、シロップなどに製剤してあり、調合する必要の無い場合が多く、ことさら、医薬分業にして薬局へわざわざ処方を出さずとも、今のままで十分ではないか、という反対と、医薬分業が本格的な軌道に乗ると約4億枚程度*1)の処方箋が毎年発行されるが、この処方箋の直接的費用の処方箋料だけで、2千億円にものぼることから、これだけの費用をかけて、わざわざ医薬分業を実施することは無駄ではないか、という疑問に加えて、患者が医師を訪れるだけで用が足りず、薬局へ行く手数を考えると、医薬分業は過去の制度であって、今さらわが国に取り入れることは時代遅れではないか、といった声も少なくない。
また医薬分業を制度としてとり入れる理由として、医師が自ら調剤をする場合の薬の使い過ぎが挙げられるが、たしかに、1つの理由ではあっても、それだけのために医薬分業を実施することにはならない。
一方、すでにこの制度を実施している国々では、この分業の制度について厳しい評価を与えている。国民は医師の処方箋を薬局へ持っていき、そこで調剤してもらう面倒を好んでいるわけでもないし、薬剤師の業権のために不便に耐えているわけでもない。医薬分業の制度が、今日の社会に適合しない、または今日的な役割を持つものでなければ、直ちにこの制度を捨ててしまうに違いない。今日、制度として存在するのはその制度の利点を認めた結果であろう。そこでこうした国々の薬の制度のアウトラインとその意図について述べて、わが国の場合と比較してみたいと考える。
ヨ-ロッパの薬剤師と薬局の誕生
わが国の医学、医療がヨ-ロッパに範を取り、薬剤師職業、医薬分業の制度の発達もヨ-ロッパであることから、簡単に歴史に触れてみよう。
治療者であり、植物採集者であり且つ調合者であった医師が、“薬"を他の職業人に任せることとした最初はアラビアであって、アラビアでの化学、薬学の発展は、医学医術の中から薬学を分離して独立のものとした。この影響を受けて、イタリアでは古くから医と薬を分ける傾向があったといわれる、一方、ベニスを中心とする貿易によって、東方からヨ-ロッパにもたらされた商品は、絹や胡椒をはじめとする香料などであったが、医薬品はその香料の一部として輸入され、北イタリアを通り、全ヨ-ロッパに運ばれていた。
患者の弱みにつけ込んで偽薬を売り捌き、暴利を得ようとする悪得人種は、わが国のみではなく、何処の世界にでもいるもので、その頃から良質の薬を確保するためのいろいろの方策が案出された。そのうち特に明確に薬の取扱いを定めたものとして、13世紀も中頃、神聖ロ-マ帝国皇帝のフリ-ドリッヒ?U世によるシシリヤでの布告が有名である。この詩人であり学者であった王は、その時代では珍らしい中央集権的な官僚による行政を行なったといわれるが、その内容は、
1. 薬の取扱者は医師から独立して、政府の任命する監督官の取締りを受ける職業であり、
2. 医師と互いに業務上の利害を持つことを禁じ、
3. 熟練と責任を持つことを要求した。さらに、
4. 薬を純正に調製し、
5. その料金を定め、
6. 薬局の配置を決めた、また、
7. 監督官の任務と違反、
8. 違反を見のがした際の処罰について規定している。
その後北イタリアの都市を中心に、香料商人の分派として薬剤師がギルドを作り職業人としての形を創り上げて行くのであるが、この法の趣旨は実に忠実に継承されて、現在に至るまで伝えられている。
医薬分業の考え方の相違
こうして生れたヨ-ロッパの薬剤師は、時代により、所によって、その名称を調合師、調剤師という意味の様々な呼び方を経て、現在の薬剤師に至るのであるが、わが国の薬剤師と基本的な点でいくつかの相違が見られる。
わが国の薬剤師が制度として誕生したのは明治7年の医制によるが、この趣旨は医師の診療費の高い弊害を、薬剤師を新たに制度化して医薬分業を行なうことによって、経済的に牽制しようとするものであったといわれる。このために、薬剤師は調剤にのみ目が向き、薬全体については関心を持たないのが普通であった。ところが、ヨ-ロッパの薬剤師は医師の処方を調剤することはもちろんであるが、薬について薬種、売薬に至る総ての取扱者として、独占権、専売権を主張した、安易な独占は、品質、価格などでの大きな弊害をもたらすであろうが、薬剤師に薬の独占の権利を許す代償として、国民の側から薬剤師に義務として要求し得た事柄も少なくないのであって、長い間のその駆引きがヨ-ロッパの薬剤師の体質を作り上げたのである。
云いかえれば、わが国の薬剤師は医薬分業を医師を相手に闘ったのであるが、ヨ-ロッパの薬剤師は、もちろん医師とも争ったであろうが、むしろ国民に対して薬の専売権を求め、国民はそれを許す代りにその弊害を防ぐだけでなく、大きな代償を勝ち得たという歴史を持っている。
薬局方の制定と医薬品の品質
独占の結果として起る弊害として第1に挙げねばならぬのは品質の低下であろう。薬が外観から判断し得ないのは今も昔も同様で、何時の時代でも、何処の国でも偽贋薬の製造者、販売者は跡を絶たない。
このために、薬剤師集団に対して規格書を制定し、その規格に合うもののみの販売と使用を義務づけた。こうした規格書は始め都市を単位に作製されたが、後に薬局方として各国それぞれに作られるようになったことは周知のことである。こうした傾向は、他の秘薬、家伝薬の品質や薬効に薬剤師の目を向けさせて、無効な薬を整理させることとなった。18〜19世紀の各国ではこうした動きを見ることができる。秘密薬の分析は多くの薬局でなされた。しかし、インチキ薬の中には薬効があるとして、その後永く生き残ったものもあった。サリドマイド以後の再評価、洗い直しは歴史的な観点に立てば、この長い間の医師らの協力を得ての薬の整理の継続としてとらえられる事柄で、わが国ではこうした薬剤師の歴史を持たなかったために戸惑い、すぐには適切な対策が立てられなかったといっても誤りではない。
とはいっても、ヨ-ロッパの薬局と薬剤師が、第2次大戦後の薬物治療の急速な発達に的確な対応をしていたとはいい難く、棚から瓶を取り出して患者に与えることが主な仕事となっている、といった批判は謙虚に受けねばならなかろう。しかし、それ以後の取組みは真剣なものがあり、例えばスウェ-デンの薬局の医薬品情報、副作用情報の管理などの情報の収集、管理、提供、医薬品の保管、管理試験の水準向上などはみるべき点が多い。
医薬品価格
独占の弊害として次に挙げねばならぬのは価格である。消費者が医薬品の品質と価格を自ら判断し得ないこと、医薬品は価格競争が行えない商品特性を持つとして、ドイツを始め多くの国々(もちろん西側に属する国々)で薬価を法で規制している。西ドイツの場合、1905年以前は連邦それぞれの薬価令が制定されていたが、以後は連邦共通の公定薬価(arzneitaxe)によって、各薬局で薬価を算定している。この薬価は社会保険による給付のみでなく、医師の処方によらない薬にも、自費による調剤にも適用される。内容は包装製剤の価格決定法、薬局における製剤薬価の決定法、調剤薬価、容器代、社会保険の特例値引きなどを含んでいる。この方式はオ-ストリア、北欧でもほとんど同様である。このため、医薬品価格は都市においても、郡部でも同一となった。また薬局間の過度の競争が防止される結果をも生んだ。同時に、薬局の薬剤師に対して薬局設備の向上と、常備薬品の充実を要求して薬局の質的向上に努めさせ、安易な経営による医薬品供給の質の低下を防いでいる。
薬局の開設権と地域分布
さらに、薬剤師の薬の独占の代償として、薬局の完全な地域分布を求めることも珍しくない。住民の居住するすべての地域に、その住民の必要とする薬はすべて備えられ、必要に応じて調製調合されるという原則は薬局の地域分布の基本条件である。このために薬局の開設権は、大幅な制限を受けることになる。通常、薬局の所有は薬剤師(または限定された形の法人)のみに許されるが、相続、譲渡は自由に行えない。つまり、地域の住民の立場では、その地域の薬局が適切に運営されないと、必要に応じて薬を手に入れることができない恐れがあるため、何時も最適の薬剤師によって経営される必要がある。このため、薬局薬剤師の死亡、引退などによって薬局の売物が出た場合には、行政庁、もしくは薬剤師会が、後継者を公募し、選定して、適格の薬剤師に薬局を買収させる方策をとっている国が多い。
ドイツでは、1810年まで、自由譲渡できる薬局(Apothekenprivilegien)が存在したが、1894年以来の薬局(Personalkonzessionen)は相続、譲渡不可能となった、デンマ-クでは1842年以降、フィンランドでは1928年以降、個人免許薬局である。スウェ-デンは1970年までこのようにして薬剤師が薬局を所有してきたが、薬局の機能が複雑化して大規模になり、個人の薬剤師の売買する額を超えてしまったことから、総ての薬局を2/3政府出資の薬局組織に売渡してしまい、薬局所有者であった薬剤師はスタッフとして、組織の中で働いている。
この組織(会社 Apoteksbolaget)は、スウェ-デンの適切、且つ十分な医薬品供給に対する責任を追い、薬局の配置、サ-ビスの水準などを決定する。また、スウェ-デンで使用を承認された医薬品は総てこの会社を通じて販売され、国家からの補助は受けない。しかし、これは医師の医薬品選択の自由を制限されることではない。
このスウェ-デンの例は極端ではあるが、薬局の将来を暗示しているといえよう。薬局が福祉国家として要求されるその地域の医薬品の供給を完全に行なうために内容の充実をはかると、地域の薬局は、もはや個人の薬剤師の手に負えないほどの大きな施設となってしまうのである。
このように、地域性を重視して薬局の開設権をコントロ-ルする、と同時に、薬剤師集団に対して国内の総ての地域に対する一定水準の医薬品供給を義務づけることは、独占権の代償として当然ではあろうが、薬局の性格を地域に不可欠とする意味があった。
地域社会での保健活動
地域に対する唯一の医薬品供給所としての薬局は、こうして適正な配置と分布をすることになり、古くから、多くの国で地域の医療機関のうちで重要な位置を占めてきている。
さらに、薬剤師は、化学の広い領域に及ぶ知識と、近年の生物系科学の重視によって解剖学、生理学、薬理学、細菌学等の教育も受ける機会を持っている。この生物的化学教育を受けた者の、地域の公衆衛生活動への参加について、ヨ-ロッパのそれぞれの国で、違った分野と水準での検討が進められている。社会医学がすでに存在する以上、社会薬学(予防薬療)も必要であるとする主張も強い。例えば、薬の誤用乱用は、酒、タバコ、麻薬と関連して重要な問題であるし、近代の生活に不可欠な多くの化学製品、化学薬品の安全な取扱いの教育は、薬剤師にとって手馴れた、身近な事柄である。薬剤師の公衆衛生分野での住民との接触は、大抵の薬局にあって、薬剤師の自由に使えるショ-ウィンドウから始まる、住民の保健教育を目的とした魅力的な飾りつけによって、大きな貢献をしている。さらに、薬局を訪れる顧客と患者に対して、小冊子を配布することが、行われている。フランスで、イタリアで、また、オ-ストリアでは、“薬局"健康人と患者の為の雑誌(“Die Apotheke";Zeitschrift fur Gesunde und Kranke)が薬局から定期的に配布されている。
わが国の薬局薬剤師も、長い間、井泉水の水質試験について衛生研究所等と協力して来たが、ベネルックス諸国でも薬局薬剤師は水質試験に努力を重ねている。
また成人病の検査の一環としてスイスでは糖尿病の尿検査を地方住民総てを対象として行なったが、昨年の国際人口年を契機として、妊娠テスト(尿)を広汎に引き受けているデンマ-ク、スウェ-デンの薬局の薬剤師は、テストの普及と、テストの確度を向上させるために、技術的な検討を行なった。
薬局のこうした活動も、今日の地域が求めている公衆衛生、保健活動の水準からすると決して十分とはいえまい。近年の急速な医療と薬物治療の進歩に対応して、医薬品の供給と云う薬局薬剤師の一義的な任務すら、追い付くために日数がかかったことも認めねばなるまいし、さらにこの10年は、サリドマイドの後始末ともいうべき医薬品の品質管理の水準向上と情報管理など、新しい分野への取組みに力を注ぎ、他をかえりみられなかったことも大きな理由ではあろう。しかし、ヨ-ロッパの多くの国々の薬局が地域分布の良さを基盤にして、医薬品供給と共に、生物化学の学識を生かしてそれぞれの国情に応じて、組織的な公衆衛生活動をさらに押し進めようと考えていることは疑いない。
その他のサ-ビス
こうした事以外に、地域の唯一の医薬品供給者として課せられている義務が少なくない。随時応需の義務(夜間休日の)は当然のこととして昔から住民の求めに応えて来た。ところが現在のように労働時間の短くなった社会では、真剣に取組んでも解決しがたい問題である。しかし、自動車など輸送手段を持つ人々が増えているので、昔と違った、広域的な薬局間の連携のもとに一部の薬局の24時間の開局や、当番制度をとって緊急時に対処している。さらに過疎地の住民の便宜のために、薬局支所を設けること、調剤薬の配送に郵便車を利用することなど、国によってきめ細かい対策を講じている。
また、伝統的に医師と薬局は、それぞれに独立して別々な場所を選んで業務を行なって来たが、これは住民の立場からすると不便でしかないことから、医師、歯科医師、保健婦、薬剤師が、保健センタ-として集中化して、合同することが望ましいとする動きもある。この場合、薬局はその施設に従属するのではなくて、あくまでも独立した機能を持ち、そのセンタ-のみでなく、地域薬局としての広い役割を果すことはいうまでもない。
わが国の医薬分業の狙い
ヨ-ロッパの薬剤師は、こうした立場を基盤として仕事を組み立てている。たびたび述べたように、医薬品の独占販売権を廻っての駆け引きが行なわれて来た長い歴史を振返ると、皆この点を中心に舞台が回っているように見える。そして、この勝負は住民の側に分がある結果となっている。薬剤師を上手に使って、全国的な薬局のネットを作り上げたが、その受益者は薬剤師ではなく、住民の側である。
医薬分業は、これらの薬局を基礎として、ごく当りまえのこととして実施されているうえ、薬害などの問題も、一元化された薬の流れの中で、比較的手ぎわ良く処理されている。この点、わが国の薬剤師の置かれている立場と大変に違っている。薬剤師という名は同じであって表面は大差なく見えても、内容はまるで異なっている。
わが国では、医薬分業について一般的に薬剤師を含めて、調合調製という技術的な、また経済的な見方でとらえている。医薬分業とは薬剤師が医師に代って調剤することであり、医師と薬剤師の間の問題として考えられている。
こうした大きな相違は、民族・風土・宗教などに加えて、職業観や薬剤師を導入した時代の影響を受けているのかも知れない。これまでわが国の薬剤師は、強く医薬品の独占権を主張したことはないので、急にヨ-ロッパの薬剤師と同じ主張をしても、にわかに多くの人々の賛成を得ることはできなかろう。
10年ほど昔の事であるが、カイロの薬局で注射士に出会ったことがある。ラテン民族の国々では珍しくない職業と、のちに教えられたが、注射は医師自らが行なうわが国では想像もできなかったことで、大層驚いた。所変れば品変るというが、医療の制度を比較するのは難しいことで、余程頭を柔らしくして置かねばならぬと痛感した記憶がある。
医薬分業も例外ではない。わが国の制度はわが国なりに生れ、育って行くに違いない。しかし、国民の立場からみても、処方箋料の500円が高いとか、無駄な費用を支払っている印象があるなら、この制度は決して伸びることはなかろう。反対に、わが国での薬の好ましくない現状が改善されて、将来とも薬の安全に有効が確保されるとするならば、この費用は決して高いものではないし、制度としてわが国に定着するに違いない。
*1)処方箋の年間発行枚数は、国情、医療制度等によって、かなり相違はあっても、多くの国で、一人当り4〜8枚/年とみるのが普通である。 |
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