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解説 世界一の開局薬剤師
『開局薬剤師の理想像』とは(3,1,4)
未発表 1983


今年の(1983)始めにファルマシアの編集部から、一通の封筒が送られて来た。それは何人かの人々が原稿用紙で3、4枚の短い文章で意見を述べる「パネル」の原稿依頼であった。それまでも新聞や雑誌から意見を求められたことがあり、短い文に意見をまとめるのは難しいとは感じていたが、今度のファルマシアはタイトルが「開局薬剤師の理想像」と知って、なおさら考え込まされてしまった。もはや周知のことではあるが、わが国の開局薬剤師と呼ばれる人々の開局の動機や仕事の内容は、ヨ-ロッパの一部の国々の実態とは掛け離れているのが実情なのである。
 薬剤師の人生の到達点として開局したい、と望んでいるヨ-ロッパの人々と違う意味を持っている。地域社会で既に確立した役割を果しており、加えて安定した身分と収入を得たいが、順番を待たねばならなかったり、機会に恵まれないかで、やむを得ず病院薬局や製薬会社に勤め続けている薬剤師の住む国では、たしかに薬学から見てふさわしい「開局薬剤師像」、もしくは「開局薬剤師の理想像」が存在するだろう。だが、わが国は、東は東、西は西で、まったく事情が異るのである。わが国の開局薬剤師は、ヨ-ロッパなどの開局薬剤師と違って、決して羨しがられる存在ではないし、薬学的実務者の共通の目標でもない、そんな評価が定着している。どう考えても、原稿用紙3、4枚ではとても理想像にまで辿り着くわけにはいかない、というのが第1感であった。
 求めに応じて、原稿を提出した後に、これまで開局薬剤師の理想像を本当に真剣に、追い求めたことのなかったのでないかと反省した。
 これが、この文章を書き始めた動機で、日頃考えている事を、枚数に縛られることなく書いて見ようと決心した。

跡継ぎ息子
 わが国では開局薬剤師を志望する第1の候補は、薬局の「せがれ」と呼ばれる、既存の薬局の後継者である。この人々は薬科大学の在学中から、特別の扱いを受けるのが普通である。先生達から「彼は跡取りだから、まあ国家試験に合格する程度に勉強させよう。薬学と薬局商売が繁盛することは別であるから、無理に勉強させることもない。まあ適当に学生生活を楽しんでもらって横道に逸れることがなければ、それで良いではないか。」といった眼で見られ、それなりの期待しか受けないことになる。
 これには理由がいくつもある。親達の息子を跡継ぎにしたい意向が、息子に通じないことが多かろう。息子の方は親達の毎日のしんどい商売の裏表を子供の頃から見聞して、何か他の職業を選びたい希望を持つのは無理からぬ所でもある。大学入試の直前にどうしても薬科大学を受験しろと志望を変えさせられたら、やる気を無くすのは当然である。それよりもこうした反逆を起させないよう、跡継ぎを従順に育てることも大切だ、と考えがちにもなろう。おとなしくて覇気のない総領息子が育っていくことになる。となれば大学へは跡取り息子という無気力集団が、毎年毎年かなりの比率で押寄せることとなる。本人も味気ない学生生活を送ることにもなろうが、大学側もやる気のない学生を抱えて被害を受けるのは仕方がない。
 開局薬剤師の親達はむしろこれで満足なのである。必要以上に学問に熱を上げて研究者にでもなりたい等と言い出されたら迷惑するし、その学問が薬局商売に何の足しにもならないことは先刻承知で、理屈っぽい開局薬剤師になられたら、それこそお客は逃げ出すかもしれないのである。
 こうした親達(PTA?)の意向を敏感に感じ取っている学校側は決して無理をしないし、跡取り息子の方もお客様の恰好で満足し、薬剤師国家試験に合格するに足りるだけ勉強して、薬学の束縛から開放される喜びと共に、めでたく卒業を迎えることになると云うわけである。
 この馴合いは、もう数十年も続いているので、お客様側も薬学教育担当側も、開局薬剤師(薬局)と薬学との関連は資格(薬剤師免許)を獲得するだけと割り切っているのが普通ではなかろうか。

落ち零れの人々
 開局薬剤師の第2の候補者達は「落ち零れ」の人々である。薬大の卒業時に運悪く適当な就職先に恵まれず、仕方なしに薬局に勤めたという、社会人としての出発点で「落ち零れ」た人達は、何年かの薬局勤務の後に、独立して開局薬剤師になる確率が高い。また運良く就職したものの、会社に能力を認めて貰えない、企業の成績が悪く退職の肩叩きをされた、倒産したなどの不運に見舞われた場合に、「薬局でも開こうか」と決心することになる。
 この他、女性薬剤師が夫と死別したとか、離婚したなどの理由で生計を立てる為に、開局する場合が挙げられようが、この場合でも幸福な順調な家庭生活を続けることが不可能となった不運を克服するための手段であって、幸福な家庭人が自ら望んで開局するというのは珍らしいことであろう。
 女子が薬学を志望する大きな理由の一つは、いざと云う場合の為に薬剤師となりたいというのだそうで、箪笥の中に仕舞われた薬剤師免状は、こうした場合の備えであるという説明が一般に通用している。
 ここで何を云いたいのか、もうお判り頂けたと思うが、世間一般から見た眼はいざ知らず、薬学の仲間内で、わが国の薬局薬剤師という仕事は、人の羨む仕事ではないのである。むしろ「とうとう彼も開局したか。」との言葉の裏には、「ついに彼も落ち零れの仲間入りか」という多少の同情と、軽蔑の念が込められていると考えて良いものらしい。
 なにも好き好んで仲間であり、自分もその一員である開局薬剤師について冷たい、決め付けた云い方をしたいわけではない。何年か前に薬科大学の先生達の前で自らを開局薬剤師と名乗ったところ、不思議そうな顔をされて、「薬学で開局薬剤師とは落ち零れの意味だから、他人が云うならともかく、自分で名乗る肩書ではないでしょう」と率直な注意を受けたことがある。その後も開局薬剤師を肩書として名乗っているが、こうした評価があることは知って居りますよと、いう位の積りで書いたのである。

開局薬剤師の成功の尺度
 一方、開局薬剤師の方でも、仲間内から暖かくは視られていないことは暗に承知である。そこで勢い、努力の対象は全く薬学の範囲の外ということになる。一番手っ取り早くて、実質的だと認められているのは商売を繁盛させて、経済的な実力を蓄えることである。貧乏な学者は存在するが、貧乏な開局薬剤師は誰からも相手にされない。お金を蓄めることのできた開局薬剤師は、とにかく成功したといわれる。次に考えられるのは町内会の活動などから、だんだんに努力を重ねて町、区、市会の議員となることである。また業界団体の役員や会長さんも同じ様な評価を受ける。
 開局薬剤師の成功の尺度はこうして「お金が溜ること」であり「地域政治家」「会長さん」なのである。日本薬学会の発行する雑誌であるファルマシアの問うている「開局薬剤師の理想像」とは、まさか成功の尺度として現実的に認められている、これらの事柄を指してのことではあるまい。
 開局薬剤師の立場から、多少のひがみ根性と懐疑心をもってすれば、何故いま薬学の側から「開局薬剤師の理想像」を採り上げ、問題とする必要があるのか疑問を持たざるを得ない。

処方せん発行増加の傾向
 強いて、その理由を考えるならば、思い浮ぶのは街に処方せんが流れ始めていることである。10年前までは「処方せん」という言葉を聞いただけで、不機嫌になる開業医が少なくなかったものであるが、昭和49年の診療報酬の改訂の際に処方せん料が一挙に50点(500円)となってから、開業医の中に処方せん発行のム-ドが生れて来たことは否定できない。一昨年末(1981)に文京医師会のアンケ-ト調査の結果によっても、約30%の開業医は処方せんの発行を考慮している。
 こうした処方せんの調剤を街の薬局、開局薬剤師が引受けるとするならば放置できない、むしろ薬科大学のPTA(?)の意向も変って来ているので、これまでのように開局薬剤師候補者をお客様扱いにするわけにはいかなくなった。やっと薬学の「出番」となった、という捉え方なのであろうか。
 「それは困る、目の付け所が違うのではないか」というのが、開局薬剤師としての小生の偽わらざる心境である。これまで問題にもされなかったのに、やっと日が当り始めたか、と嬉しい感じもある一方で、それでは困ると大真面目で考えてもいるのである。それは、前に述べた薬局の商売が上手く行くとか行かないかという次元ではなく、むしろ薬学の側、大学の側の基本的な考え方に不安を持っているのであって、その訳をこれから述べようと思う。

調剤薬局とは何か
 今では普通名詞のように使われて、誰もが不思議に思わないらしいが、元来調剤薬局は「いにしえの昔、武士というさむらいが・・」と同じに、意味が重なっている不自然な造語である。昭和39年に、調剤だけを行う薬局の開設許可を申請した際に、医薬品販売を行わないなら、「○○薬局」という名称でない、例えば「○○調剤センタ-」のように既存の形態と区別できる名前を付けるのが望ましいと行政当局より指導されて、苦しまぎれに「調剤薬局」と名付けたのが最初だと記憶している。「余り素直な名称でないがまあ良いでしょう。」と役所が受付けてくれて、1年近く保留になっている間に、業界紙が「調剤薬局問題」として採り上げてくれたり、その後同じ形の薬局が次第に多くなった為に、普通名詞のようになってしまったが、この時期に何故、調剤のみの薬局の発想が生れたかを説明してみよう。
 昭和30年代の後半に至って、これは病院薬局でも同様であったろうが「調剤」が大きく変化した。東京大学の附属病院に近いという恵まれた立地条件もあって、われわれの薬局はそれ以前から処方せんの仕事が多かったのであるが、この時期に幾つかの波を被ることとなった。その第1は、量的変化である。その頃厚生省は、「国民皆保険運動」と呼ばれた、社会保険加入促進運動を全国的に進めた(昭和36年)。医療保険に加入すれば「無料」あるいは「小額の一部負担金」でお医者さんに診て貰えますとの宣伝によって、次第に受診率が上がり始めていた。その後、「老人医療の無料化」政策で医院の待合室が老人ホ-ムみたいになったという、受診ラッシュの前哨戦とも云うべき時期であった。この量的増加に対応せねばならなかったのがひとつの原因である。しかし、これよりも問題であったのは、第2の点、質的変化であった。それまでの内服薬は粉薬か水薬で、薬局での混ぜ合せが普通であったものが、外見も美しく、のみ易い錠剤やカプセル等の製剤に変えられた。硬いカプセルをそのまま飲み込んではいけないものと思い込んで、わざわざカプセルから内容の薬をとり出して苦いのを堪えてのんでいた、と言う笑い話が生れた頃のことである。この製剤化の動きに平行して、新しい医薬の開発競争(最もその頃は外国技術の導入競争)が熾烈であった。未だ医薬品の評価についての技術が未熟であったこともあって、玉石混淆の新開発品が次々と薬局のラインアップに加えられていた。また、混合製剤についての制約、規制の全く無い時代であった為に、わずかばかり組合せや、含量の異なる複合製剤が、あとからあとから際限なく出現して来た時代でもあった。
 この製剤化の進行は、「今や薬剤師の仕事は製薬会社に乗取られた」とか、「薬剤師無用論」まで飛び出した程に、薬局薬剤師を中心に医療関係者に大きな衝撃を与えた。
 「薬剤師は乳鉢の代りに、はさみを持つことになった。」
と、調剤の仕事がただ錠剤のヒ-トシ-ルを切り取るという、単純作業となったことを嘆く薬剤師は少なくなかったし、「もう調剤は自動調剤機の時代だね」と言う医師も現われた。
 しかし、この見方は一面的に過ぎるのではないかとも考えられた。技術的な面から検討を加えても、開局の薬局の役割は決して小さくなることはないとの見方も可能であった。つまり、仕事が減ったといって薬剤師が慌てたという散剤や水剤を混合調製する作業は、薬局薬剤師にとって、どれだけ本質的なものなのかという疑問である。たしかに乳鉢で調製する作業は長年にわたって、薬局薬剤師を象徴するものと認められては来たが、どう考えても、混合、調製の作業は深遠な学理に基づいているわけでもなく、高度な熟練を要する技術でもない、と結論せざるを得ないものではあるまいか。むしろそれ以外に本質的な役目、役割が存在する、もしくは新しい役割が生れて来ているのではあるまいか?
 当時のわが国の国民所得は、高度成長政策によって急速に伸び続ける状態であって、これは当然個人所得の増大に繋がる。その何%かは当然医療費であることから、わが国の医療費は相当な速さで膨張を続けると予想された。その中で、薬物治療は、むしろ以前より重要性を加えていることからすれば、将来の地域医療で求められる調剤需要を推測すると、地域の薬局はかなりの規模の能力を持つ必要があり、それを考慮して対策を立て始めることが望ましいと考えられた。

調剤薬局の発想
 こう考えていくとわが国の、地域医療で薬局を必要とする必然性が生れて来ていると云う感じを持たざるを得なかった。その第1は、先に挙げた製剤化と新開発薬品の参入による、爆発的な品目数の増大に対処した薬品管理を、どのようにこなしたら良いのだろうか、との点である。それまで100種類から、或いは200の結晶(原末)があれば、それを薬局で加工調製して、殆ど不自由なく調剤が行えた筈である。ところが製剤となると、2.5mg、5mg、10mgと同一成分でも何種類もの製剤を在庫する必要があり、複合製剤の組合せが3種、4種ともなれば、急激に品目数が多くなるのは自明の理といえよう。
 この品目数の増加は一面では薬局の管理を難しいものとして、薬剤師にも難題となろうが、反面では医師の薬室管理を不可能とする原因ともなる両刃の剣の性質を持っている。例えば200品目の原末薬品が50万円(当時の感覚で)であれば、それに見合う製剤は1,000品目を越えようし、製剤の価格は高いので、当然在庫は500万円以上となるに違いないのである。この在庫、1,000品目の在庫管理は200品目の5倍では考えられない労力を要する上、使用する頻度も少なくなり、経時変化による変質の割合も多くなる。さらに在庫の回転率も落ちるので経営効率も悪くなる。製剤化によって薬室の作業が簡単になる反面、医師は新たな課題を抱えはじめるという見方である。このような見方からすると、製剤化の進行によって、地域の薬局の規模が大きくならざるを得ないことになる。このため、地域の医院の薬室の規模を越えて、地域での共同利用施設が欲しくなる筈であり、それが即ち薬局なのであろう。製剤化は一方で薬局薬剤師の仕事を奪ったかに見えたが、医療技術の向上と地域医療を視点に据えると、むしろ薬剤師の地域での新しい役割が生れて来るとの見方もできるのである。
 第二は米国での動きに依るものであった。1962年に連邦薬品法が改正されて(キ-ホ-バ・ハリス法)、医薬品の評価の概念が大幅に変えられた。そして、この考え方が世界をリ-ドして世界中が揺れ動き始めていた。
 これに関連して、昭和37年に渡米した際に、筆者自身の受けたショックによって、強い印象となって残っている動きがあった。サンフランシスコのカリフォルニア大の医療センタ-を窓一杯に見ることのできる薬学部長室でダニエルス氏と面会した時のことである。「私は引退するが、後任の若い薬学部長によって、全く新しいカリキュラムによる薬学教育が開始される筈である。これに期待している。」と、米国の病院、地域の薬局の現状と将来の予測を述べられ、新しい役割を創造しようとする試みについて、(それは云うまでもなくクリニカル・ファ-マシィの誕生であった)熱心に話された。
 米国での薬学教育が前述した製剤化などの発展によって、今日的医療に適応しなくなった反省に基づいての改革を、いやでも発足させねばならなかった悩みがあり、そのスタ-トであった。常に、新しい役割を追い求めようとする米国の若さ、真面目さに驚くと共に、この試みは当然わが国にも波及し、影響を受けると予想された。薬局薬剤師が将来に無関心であったり、悲観的に見るだけでは始まらないと痛感したものであった。
 こうした米国の動きは、現在まで数多く紹介されているので、ここで多弁を要しないかもしれない。わが国と米国では医療の成り立ち方も違うだろうから、米国のそのままを真似するには当らないであろうが、わが国の実態を基礎にした将来像の必要を特に感じたものである。
 わが国より米国の方が工業化社会への変化が速い時期に現れたことは、調剤薬の製剤化がずっと速やかに進んだことから理解できよう。そして、やはり一足はやく「調製する技術」に頼る薬剤師の役割が失われたことも事実である。そして米国は米国なりに、その時期に努力を重ねて、新しい時代に相応しい薬剤師の役割を創造しようとしたことは、正しく評価されねばなるまい。問題は結果ではなく、その過程なのである。努力する態度は、見習わねばなるまい。
 こうした考え方の結果から生れたのが、OTC薬などの販売を除外して、あえて19世紀的技術の残査で衰退に向うといわれた調剤に目標を定めた調剤薬局だったのである。
 その他にも、それ迄の薬局スタイルだと都合の悪い点が幾つかあった。後で詳しく述べるが、処方せんを持った患者に不安そうな顔付で、「この薬、できますか」と尋ねられたり、健康保険で調剤しますと、いくら話しても信じて貰えなかったり、患者待合のスペ-スがとれなかったり、雑貨のお客さんの相手をして、処方せんの患者さんに早くしてくれと叱られたり、税務面で疑われて不必要に厳しい調査を受けたり、の等々で、それまでの形態では一つの目標に努力を集中出来ない感があり、戦線整理の必要に迫られていたのである。街の薬局ではあるが、調剤と医薬品販売の二兎を追わず、一時的にも調剤に専念してみよう、という発想が「調剤薬局」であったのである。決して調剤のみを行う薬局を理想形として追求しようという態度ではないのはいうまでもなく、それまでなおざりにされていた、街の薬局、そして病院でも、薬剤師志願者も興味を失いつつあった、調剤に視点を定めて、目標を単純化して技術水準の向上に努めようとしたのが調剤薬局の主旨である。
 この計画は最初のうち、相当な反対に出会ったり、意図を理解して貰えない場合も少なくなかった。例えば某製薬会社の営業部長は、「今時、調剤に固執するなど正気の沙汰ではない。あえて云わして貰えば、現在の工業化社会で、19世紀的な手工業的技法に過ぎない調剤を重視する経営姿勢はナンセンスである。10年を経ずして倒産するに違いない。」と倒産予告されたこともあった。確かに、マスプロダクション、マスセ-ル、マスコンサンプションの導入された高度成長政策の始まった頃であれば、こうした見方も不思議ではなかったに違いないが、成長したのはマスセ-ルだけではなく、医療も同じことで、医療だけが成長にとり残されたとも思わないし、倒産にも至らず20年を経過した。
 今日振り返って、薬局員達の努力にもかかわらず、まだまだやり残した事が少なからずあり、残念に思うことも多い。しかし、薬局の業務を単純化し、調剤に焦点を合わせて技術の向上を目指すという考え方は広く認められると共に、調剤だけでも街の中で生存できる場合もあり、あえて販売に頼らなくとも、薬局の経営が可能であることを実証しようとの意図は達せられたと思っている。

調剤薬局の過大評価
 さて調剤薬局が動き出すと、調剤薬局こそが将来の地域薬局の理想像のようにいう人が出て来た。薬剤師は調剤が本来的な仕事であるから、雑貨を売る仕事などとは手を切って、調剤だけで生活できるようになるのが理想である、その第1歩として誠に喜ばしい、という理由である。
 そのように考える人があっても悪いことではなかろうが、前に述べたように実は違う意図から調剤薬局を作ってみたので、決して将来の理想として考えたものではない。薬局の中で調剤がいかにも「片手間仕事」として扱われていたこと、患者から「薬がありますか?」「調剤できますか?」と尋ねられない店がまえと、医師から薬剤師は真剣に調剤に立ち向かうのか、という疑問が寄せられ、さらには行政を担当するお役人も調剤を簡単に考え過ぎていたことから、むしろ意地もあり、「調剤を純粋に考える」ことから販売なしの薬局を造ってみただけのことなのである。
 だから、薬剤師以外の人々が開局者の心意気に感じて、「なる程、調剤とはこんなにも大変なのか」または「薬剤師がこんなにも真面目に調剤に取組んでいるのか」と評価してくれるのは誠に嬉しいことである。ところが、開局薬剤師仲間が、或いは薬学の仲間が、調剤薬局を将来形と考えるとなると話は違ってくる。
 地域薬局で、少なくともOTCを住民に供給する役割を放棄することは納得できない。やはり地域住民に「薬」を供給するなら、OTCも含めるのが本当である。そこで小生自身の場合にも調剤薬局を開く際に、採算に乗らないことを承知で元の薬局を「薬のミズノ」として残したいきさつがある。意地でも一般薬の販売の部門をやめたくなかったわけである。
 つまり、将来の薬局の形としては、OTCなどもある薬局が理想像であるが、調剤という仕事が世の中で(社会で)認められるまで、純粋化した調剤だけの薬局で調剤を強調し、一刻もはやく調剤を認知してもらいたいという積りなのである。長い歴史の一駒として意義があるに違いない、という発想である。開局薬剤師啓蒙の役割
 というものの、確かに調剤薬局は外部に対してよりも、薬剤師の仲間うちにも啓蒙の意味があった。
 第1は、代替販売を常識と考える販売とは違った考え方を持たねばならぬことである。「○○○下さい」というお客さんに対して、「ただ今、品切れです」とはいわない。「同じもので△△△があります」と、代替品を進めて買って貰うのが、かなり重要な販売術である。
 ところが、処方の調剤ではこんなに簡単ではない。同一成分でも商標の違う製剤を医師に説明し代替を了承して貰うことは、結構骨の折れる仕事である。当時医師に無断で、スルフイソキサゾ-ルの代りに、スルファダイアジンを使ったとか、コ-チゾンに変えてハイドロコ-チゾンを使ってしまったなど、罪悪感もなく同一成分でもない代替が行われたことを時々耳にしたが、これでは医師が処方せんを書きたがらないのも無理はない。代替について厳しい考え方をする実践の場としての意味がある。
 第2は、開局薬局はどうしても医師と競争する立場を捨てきれないことである。「皮膚科のA先生に診てもらっているのですが、なかなか良くならないんですが、何か良い薬はありませんか?」というお客さんに、「いい薬がありますよ」という調子で、「皮膚科では治らなくとも、この薬なら・・」という売り方になりがちである。これも医師が処方せんを書きたがらない理由の大きな点となる。薬局の薬剤師が、競争相手でなく、協力者と考えられて始めて医師は処方せんを書く、薬剤師は調剤を引受けるという関係が生まれる筈であろうから、薬剤師は立場を変える必要がある。第3に、OTCを売る時には、その「薬」の品質について、製薬会社任せが普通で、顧客も薬剤師も不思議に思わない。この感覚で調剤すると、調剤薬についての不満は、医師が悪いのであり、あるいは製薬会社の不手際で終ってしまい、調剤した薬剤師の責任は無くなってしまう。調剤薬の責任を、誰がどのようにとるかについては難しい問題もあろうが、少なくとも行為についての責任回避は許されない。ところが、OTCと同じに(本当はOTCでも問題はあろうが)逃げの姿勢をとり易いものである。このだらしなさ、安易な取組み方は、どうもOTCの販売についてまわる体質のように思われるので、むしろすっきりとOTCはない方が良いという感じであった。
 第4は記録の軽視である。税務攻勢の厳しい頃でもあり、適当な税額に納めるために、売上の計上を一部省略する風潮があった。このため、不必要な記録は無い方が良く、克明に記録をすることは、決して商売上手な薬剤師ではなかったのである。
 これは本来の薬剤師体質とは正反対なのである。自然科学が観察し、記録し、実験し、記録するという単純な行為と、その原則の反復で進歩して来たことと、全く同じに、薬学の応用業務である調剤も、昔から記録が生命という程に大切にされる。記録なしの調剤などあり得る筈がない。法定された記録以外に、技術志向の薬剤師は、自分の記録を持っている。
 薬局では、調剤だけに完璧な記録を付けようと思っても、片方の販売では中途半端なやり方をしていると、そこは人間の悲しさで、なかなか旨くいかないものなのである。どんな事でも忠実に記録する習慣を付けることが大切である。この観点からも、販売でも完全な記録をつけるか、もしくは販売をやめてしまった方が、良い習慣を身に付け易いということがいえる。
 その他、先にも挙げた調剤が開局薬剤師の片手間仕事である印象を、多くの人々、例えば患者、医師、行政関係者などが持っていたし、薬剤師自身も持っていた。昭和30年初めの分業法実施の頃に、図1(イ)のように、薬局販売にこぶが出来て売上が増えるという説が一般的であった。ところが、これは安易な考え方であって、或る場合には(ロ)のように、医師との競争的販売は減ってしまい、調剤がそれを埋めるに至らないこともあろう。と話しをした所『それなら分業なんて結構だ』という意見も強かったことを覚えている。これは、誠に薬剤師側の自分勝手な考え方であると思われる。医薬分業制は決して医薬品の販売量増大を伴なうものでなく、むしろわが国の医薬品消費の無駄を減少させる方向を向くのが本当の姿であろう。
 こうした、販売と調剤をからませずに、開局薬局の意識の変化をも含めて、社会(地域)で処方せん調剤の糸口というか、引金を引く尖兵としての役割を果すのが調剤薬局であるという積りであったのである。
 調剤薬局を初めて創った本人が、決して将来形とも理想形とも思っていないのである。むしろ地域社会での本当の薬剤師の役割は、ただ調剤に限定されるものではない筈で、もっと幅広い仕事を受け持つことを期待されていると考えているのである。
 しかし、狭い範囲の薬学から観た場合には、調剤だけが薬学の応用とされて、調剤薬局こそが薬学からみて理想形と解釈されるのも仕方のない事かもしれないが、街の薬局、開局薬局の実態を知らないで、簡単な結論を、さも大切そうにいうことは、望ましいことではないと考えている。

3か月の実習
 こんな経緯で調剤薬局を開いてから、もう20年近くなる(昭和39年10月開局)。
 その間に、薬の世界では、幾つかの大きな変化を強要された。安全性が強調され、医薬品製造の承認申請が厳しくなった、という製薬面の動きは派手に伝えられたが、実は開局薬局の内部でも、大きな変革が静かに進行している。
 毎年、薬科大学の卒業予定者の就職の時期を迎えると、薬科大学の先生方から、新卒予定者の推薦がある。優秀な薬剤師の卵を紹介して頂けるのは誠に有難いことで、その数も近年増加の傾向があることは喜ばしいと思っている。
 ところが、時折、「3か月間で調剤を習いたい」という希望がある。詳しく聞いてみると、先輩や先生から、「調剤の実習は、3か月もやれば十分といわれました」との返事が返ってくることがある。
 「確かに、3か月もやればはさみで切る調剤は習えるかもしれないが、その位のことは書物でも学べることで、わざわざ実際に仕事として取組む程のことではないのだと思うよ」と相手にしないことにしている。
 開局薬局の調剤など、3か月も見習えば十分と教え込まれた学生諸君に、調剤の本当の面白さ、辛さ、生甲斐などを話しても、理解してくれそうもないとは知ってはいてもやはり話さずにはいられない。でもまだこの程度の認識しかない教授方や先輩がいることは、誠に驚くべきことと思う。
 こうした方々でも、薬剤師になりたいと、「法学部を卒業したけれども、どうしても薬剤師の免許が必要になりました。1年で薬剤師になる方法はありませんか、」と質問されたら、やはり今日の教育制度を説明し、いかに名目的な薬剤師免許でも1年で獲得できないことを理解させるに違いない。
 今日の開局薬局の調剤も、これに似ている。学部卒業での薬学は、いうならば「物」を中心、つまり「薬」に据えたハ-ドな薬学である。ところが、現在の医療での薬剤師の役割は、もちろん「薬」を取扱うが、ソフト面が強調される薬学である。(ここではハ-ド、ソフトを現在一般に使われているように使いたい)開局薬局の調剤は、現在のわが国の薬学教育とは違う薬学に基礎を置こうとしているのである。先日、開局薬学研究会で、東薬大の粕谷教授から、UCSFのクリニカル・ファ-マシィについて教えを受けたが、「コミュニケ-ションを重視する薬学」といわれた。さて、その後、有志でカリフォルニアのUCSFを訪れて、ハ-フィンダル部長にクリニカル・ファ-マシィ教育のアウトラインの説明を頂いたところ、話の始めに、コミュニケ-ションが出て来た。
 コミュニケ-ションを学問として取組むのが心理学なら理解もできようが、薬学の最も重要な所にコミュニケ-ションを置こうというのだから、誰だって面くらう筈である。
 コミュニケ-ションには、ハ-ドな薬の痕跡すらない。まさに異端の薬学である。クリニカル・ファ-マシィは、薬学とはいえない薬学であろうか。こうした極端な薬学だって存在する世の中である。わが国の開局薬局の調剤が、わが国の既成の薬学と違ったものであっても別に不思議ではなかろう。
 わが国の薬学だって、DIなど情報を重視して来ているではないか、という声もある。確かに、教育カリキュラムが年々改まっていること、また努力が積み重ねられていることも事実に違いない。しかし、それは、未だに「見方」「考え方」を変えるに至っていないように思える。学生はやはりハ-ド的な「薬」が中心で、ソフト面が次第に充実するという意識を持っていると思う。われわれの薬局の調剤は、「ソフト中心」というか「ソフト志向」というか、在来既成の薬学から見れば、まさに異端の薬学に基礎を置こうとしているのである。具体的には、「見方」が全く裏返しなのである。「薬」といわれて「物」ではなく、第一に「ソフト」が出て来るわけである。例えば、アスピリンといわれた時には、「無水酢酸とサリチル酸を縮合させて作る白色の結晶で、配合に注意」というきわめて当りまえの知識よりも、「解熱・鎮痛剤として広く使われ、血液に対して・・相互作用としては・・、連用に関しては・・、という一般的な注意の外、さらに小児のビ-ルス性疾患のあとの使用ではライ症候群と呼ばれる致命的な・・、」といった数多くの事柄が整理され、次々と引出せる知識と臨床経験が第一に望まれるのであるうえ、個々の患者への使用の記録が、ただちに使えるように準備されている必要がある。
 こうしたハ-ドとソフトの順序の逆転は、天動説と地動説ほどの違いがあるといったら過言であろうか。天動説信者に、地動説的学説を教える場合に、それを本当に理解する動機として、かなりのインパクトが要求される。何かの拍子に、「解った」と自分で悟るまで待たねばならない。いくら話をしても「考え方」を変えるのは難しいものである。
 先日、蒲田薬剤師会会長の鈴木輝一氏から話を伺った際に、「人を育てるのは難しいものだね。」と云われた。小生自身が薬科大学で教えて頂いた、教育のプロの鈴木先生の言葉である。蒲田で有能な優秀な薬剤師が多く育っていることは疑いない。しかし、医薬での考え方、こうした「見方」を変えるなどのことは、ただ「教え」「覚える」では済まない何物かがあることを云われたものと理解した。
 話を元に戻すと、3か月の長さはそれまでの薬学の「ハ-ド志向」から「ソフト志向」に見方を変えることにはならない程の短い期間で、とてもその位の時間では難しいというのが実状である。それまで何年もかかって教えられたことを、基礎にしたいと考えるのは不思議ではない。それを横に押しのけて、別の事柄を基礎に置こうというのであるから難しい。
 それまで教えられた知識が間違いでないうえ、薬科大学の先生方が良心的に、熱心に教えられるので余計に困ることなのである。
 ここで、わが国の薬学教育の是非を云うのは止めたい。しかし、現に卒業してくる新人薬剤師の諸君は例外なく「物質志向」であって、「ソフト志向」もしくは「医療志向」でないことは事実である。だから、3か月の実習もあり得ないというわけである。
 では、どの位の年月を費やしたら、医療人としての開局薬剤師になれるかというのは、また難しい問題である。大ざっぱにいって、3年で基礎的な知識と臨床経験を身に付けられたら、驚異的である。5年程たって「俺は面白い仕事に取組んでいる。」という自覚が生れれば、これは本物だと思う。何故、異端の薬学を志すのか
 そんなソフトだとかハ-ドだとかいわずに、もっと単純に物事を考えた方が良いではないかという意見がある。現在処方せんを出している医師は、それなりに満足している筈だし、「何もソフトだと肩を怒らせなくとも良いではないか」との批判がある。「そこまでの需要と要求が本当にあるものなのか」と尋ねられることもある。
 確かに、薬剤師の周囲はこうした雰囲気に満ちている。しかし、「眼」をもう少し大きく見開いて、考え直してみると、色々なことが解ってくる。脱工業化時代の時代への移行
 前に述べた倒産予告をされた頃に、つまりマスプロダクション、マスセ-ル、マスコンサンプションの華やかな時代に、「もう“物"を作るということは、昔程に重要なことではなくなって来ている。」と云って笑われたことがある。
 物が足りない社会はとにかく、わが国では生産第一主義でなくなって来ている。第一次産業はもちろんのこと、第二次産業に従事する労働人口の割合は減る傾向にあるのは疑いない事実といえよう。物を作る場合にも、ただ物を作るだけに焦点が絞られているわけではない。品質が良くて安い“物"を目指している。作られた“物"を使う立場の側も、できるだけ有効に、上手に使うことに関心が集っている。
 これまでの薬学は、優れた薬を社会に供給することを目標としていたのではなかっただろうか。薬の開発、製造、流通、調剤のどれをとっても、それは「物を作る側」であったといえよう。調剤の位置づけも、流通の一部と見なされており、用に臨んで調製することとされたのではなかったか?この立場、生産者、供給者の立場から仕事を見る場合には、開局薬剤師の仕事は時代と共に消滅する運命にあるといって間違いなかろう。しかし、「物を使う立場」に立つと話は違って来る。そこでは、住民や患者の側で、その代理としての様々な仕事が、未だ手つかずで、或いは未消化のまま放り出されていることに気付く筈である。

個性を求めた調剤
 昔から、「薬を使う」のは医師であり患者であるとされていた。現在でも、そうに違いはなくとも、使い方の技術は長足の進歩を遂げて、医師のみで十分であるとも、患者(住民)だけで上手くいくとも考えられていない。
 調剤、もしくは開局薬剤師の役割は、まさにこの点にあると考えられる。
 医師に対して、薬物治療に関して適切な助言を行い、患者(住民)にも指導と助力を行うことが本質的役割であろう。さらに、こうした役割は、薬についての一般的な知識に基づいてなされることはもちろんであるが、さらに進んだ形が期待されている。それは、その患者、その個人についての分析、考察、判断が要求されることである。
 古い教育を受けた医師の中には、こうした薬剤師の助言を喜ばず、むしろ邪魔だと感じる人も、少なくない。しかし、薬物治療の難しさを、本当に理解している医師は、薬剤師の助言を鵜のみにするという態度でなく、ディスカッションを通じて、より良い治療をと心掛けて、患者に対する責任を果そうと考える筈である。
 一方、薬剤師側も、これまでとは違う対応を求められる。薬の一般的な知識は、薬剤師の基本であるが、個々の患者についての質問は容易に答えられない。
 △△△という鎮咳剤について、という質問に答えられぬ薬剤師はなくとも、A氏に最適な鎮咳剤について、という質問は、難しい内容を含んでいて、なかなか答えられない。この場合、A氏は一般的でないA氏独特の条件を幾つか持っているのである。A氏が肝疾患の既往症がある高血圧症の患者である場合には、どのように医師に助言したら良いのだろう。現在の開局薬局で、薬物治療で医師に助言しようとする薬剤師は、例外なくこうした立場での返事を要求される。さらに、処方せんを正しく調剤するという仕事の中には、この視点でのモニタリングが求められている。
 これまでの調剤業務は刹那主義的であったという反省をせねばなるまい。薬剤師は処方せんに従って、正しい調剤を行い、その記録をとるが、その記録は間違いなく調剤を行ったという薬剤師の責任を明らかにする性質のもので、その(個々の)患者像を浮び上らせる意図を持たないのが普通である。例えば、その調剤の成分によるアレルギ-が起きても、それは、その調剤の記録として処理され(或るいは医師に通知され)るだけで、次の機会に生かされることはない。その事実は薬剤師の記憶の中に残るのみに留り、別の機会に、或は他の医師がその成分を調製しても、薬剤師が忘れてしまえば、そのままで調剤が行われてしまい、再びアレルギ-が繰返されるという望ましくない事態が起きる可能性がある。
 患者それぞれにかたよりがあることを認識すると、これまで行って来た調剤業務が、その場限りのおよそ非良心的なやり方であったと反省せざるを得なくなる。薬物によって身体全体に発疹した患者を見て、それは医師の責任であると、自らの無策を反省しない薬剤師がいたら、それはもう医療に従事する資格はあるまい。
 こうして、患者像をはっきりと掴むための患者記録は、薬局の必須の記録として浮び上って来るのである。
 いうまでもなく、この記録はただ記録するだけで済まず、その患者の調剤に際して、必ず参照されねばならないことはいうまでもないから、その整理、保管は大変に労力を要する仕事となる。さらに、この記録は患者(住民)がOTCを使用するときにも参照されることが望ましかろう。
 こうして考えていくと、「薬を使う側に立つ」ことの難しさが、少しづつでも理解されよう。観念的に、消費者の側に立ってとか、住民の側に立ってと云うのと違うのである。お客さん本位とか患者さん本位の調剤をしますと、お題目のように消費者の立場でと唱え、恰好よく世の中に迎合する態度とは違うのである。
 本当にこうしたやり方をするには、大変な努力と労力を必要とするのである。20年程前に、患者記録を作ろうと試みて失敗したことがあるが、この時にはどれ程の労力が必要とするか見当を立てられず、見縊った所に失敗の原因があったと考えている。
 つまり、こうした方向に進むためには、薬局の体質を変えなくてはならないのであって、調剤とは“物"を加工するのではなく、“記録"を中心に行う仕事である位に考え方を変えないと、薬局員がついて来ない。記録、即ちソフトが調剤の中心だとその薬局の全員が考えないと、薬局が動かなくなってしまうのである。記録なんてつまらないと考える薬剤師が記録を作ったら、その記録は使えないものになってしまうに違いないのである。
 ここに薬学の反省がなければなるまい。たゞ物(薬)を物として供給する薬学では対応し得ないのである。使う立場の薬学、薬を有効にかつ安全に使う薬学でなければ、この動きについて行けまい。
 物を上手に使う技術、いうなればソフトな薬学が求められるのは、こんな理由があるからなのである。

処方発行と医薬分業の違い
 調剤薬局を見学したい、という薬剤師君と会い、どんな仕事をしているかを尋ねると、「△△市の郊外で、医薬分業をやっています。」と答えられることがある。詳しく聞いてみると、付近の開業医の処方せんの調剤の仕事が次第に増えて、薬局の改造の必要が生れたために見学して歩いているという。「それは、処方せんの調剤という仕事をしているので、医薬分業といわない方が良いと思うよ。」と話を切り出すと、不思議そうな顔をするのが普通である。確かに、処方せんの調剤でも、医薬分業でもたいして変りはあるまい、同じことではないか、と考えている人達が多いのだろう。一般の人々はそれでもよいだろうが、それを仕事としている職業人が、あやふやでは困ることもあるのである。この両者は
「人間は動物(の中の1つの種)である、が動物は(必ずしも)人間ではない。」
といった関係にある。処方せんの発行により調剤が盛んに行われるようになっても、それで医薬分業だ、医薬分業になったといえるものではない。しかし、医薬分業が行われていると、処方せんによる調剤が普通のこととして行われる。制度化への努力
 この違いは、もう10年も前から強調することにしているが、なかなか理解してもらえない。ところが、この違いはなかなかに重要な要素を含んでいると、何かの時に強調することにしている。
 例えれば、子供達を教育することは、家庭の中でも、また社会としても、共通した重要な課題である。社会が未熟な間は、家庭や寺子屋、或いは私塾で教育が行われた。次第に社会が整うにつれて、公立の小学校が地域に配置され、私塾も(学校教育)法に則った私立学校に変化して、一定の水準を割ることのない教育が行き届くような社会となる・・。
 医療で、医師が投薬を行って来たが、そこに薬剤師という職業人の力を借りることに意味を見出して「処方せんを発行しよう。」とするのは、先に挙げた寺子屋、私塾の段階といえよう。次第に薬剤師の役割が社会で認められて数も増えて来ると、優れた仕事をする薬剤師が活躍する反面、望ましくない薬剤師も現れて来よう。教育と称して児童を道具にした金謝主義や反社会的な手段・方法を用いることは好ましい話ではない。こうした副作用を押さえるため、次第に法が整備される一方で教員の質の向上が実を結び、地域に学校が根付いてくると、学校教育制度が充実して来る、というのと同じに、医薬分業も制度として充実するには薬剤師の質の向上が行われる筈である。
 現在のわが国の医療での薬物治療はどの段階にあるのだろうか。制度として地域(医療)に根付かせるには、薬剤師の大きな努力が必要であろうが、現在はまだ相当数の医師が関心を持ち、実際に処方せんを書き始めているという所である。つまり、今日のわが国で、処方せんの発行とか調剤はあっても、医薬分業制を地域として実施している所は殆どない、といって過言ではなかろう。
 この時期を乗り越えるには、個々の開局薬局の努力を中心に、薬剤師集団としては、制度化へ向けた精進が求められよう。
 この見方からすると、現在の開局薬剤師の仕事の掴え方というか、取組み方は本当に自分の置かれている立場を理解せずに、ただ仕事しか見ていないとはいえまいか。或る薬剤師は、医薬分業を無条件に良い事と信じ込んで、それが社会でどのように評価されているのか、又されようとしているかに全く無関心であったり、他の薬剤師はOTCを売るよりも、儲けが大きいというだけで調剤に熱中し、医師や他の人々のひんしゅくを買い、又、他の薬剤師は医師が処方せんを書けば調剤してやるよ、という投げやりな調子の人達もあるようだ。
 自分の仕事の置かれている場所を、社会の中で正しく認識することは難しいことなのかもしれない。患者が、医師が、そして国民が調剤する薬剤師を、どのように視ているのか、正しく見極めることは、あくまでも基本的な問題として捉えねばなるまい。最後に
 さて、随分と長く書き続けたが、結局いいたかったことは、現在の薬物治療では、これまでの概念の調剤はもう無用に近いということなのである。現在の薬と薬物治療の本質に合わせて、新しい調剤技術と、それを行なう薬剤師の、成熟したわが国社会にふさわしい職業像を創り上げるのは、誠に大変な難事業であり、多くの人々の協力なしには出来るものではないことを指摘したかったのである。(1983.4)

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