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解説 世界一の開局薬剤師
問い直される医薬分業(3,1,2)
80年代の医療行政;人と日本別冊;
行政通信社昭和56年4月号


 ある日、見知らぬ高校生だというお嬢さんから電話がかかった。
「保健体育の授業で医薬分業について調べるグル-プですが話しを聞かせて下さい」
 との申し込みである。早速協力することにしたが、彼女たちの熱心な若者らしい質問は新鮮でとらわれず、将来家庭に入っても合理的に物事を判断する賢い夫婦になるに違いないと思った。
 ところが説明の中で使った米ビツという言葉を十分に理解して貰えないのには驚いた。米ビツをしらないのではなく、「米ビツが空だ」、という場合の生活費とか家計を意味する語感がなくなってしまったようなのである。
「約100年にわたって医師と薬剤師の間で争われて来た医薬分業は次第に国民、国民生活から遊離してしまい、煎じつめれば医師の経済、薬剤師の生計の問題に過ぎないと見られ、両者の米ビツ論争と極め付けられた時代が長かった」と説明しても何か合点のゆかぬ顔つきなのである。豊かな時代に育つ新しい世代との差と米の権威失墜とを、あらためて知らされた感があった。
 変化の激しいわが国で100年以上も争ったこと自体も珍しいことであろうが、最近になってむしろ医師の方から医薬分業にしようとの声が聞こえたりする。
 国民生活に密接に結び付いた医療制度を、医師と薬剤師の収入の思惑だけでいじられ、押し付けられるのは敵わぬと考えられる向きもあろう。果たして医薬分業は現代の医療にとって不可欠なのか否か、その本質を掘り下げてみることとしたい。

新職業としての薬剤師
 薬を扱う薬剤師は、長い歴史を持つ職業であるかに見えるが、わが国の薬剤師は明治の初めに新たに創り出されたものである。
 明治6年、当時文部省医務局長であった長与専斎は、かねてより調査を命じられていた医制について次のような上申書を書いた。
「これまでわが国には医業、医術に関して何等の法制もありませんでした。そのために多くの弊害が現れて、一時に収拾のできる状態ではありません。・・中略・・まず医師の診察料を定めたり、医師が薬を扱うことを禁止するなどから徐々に着手して・・後略」
 こうした明治8年に医制が発布され、現在に至る医事衛生行政の基礎が築かれたのである。
 現在の薬剤師は、この中ではじめて薬舗主、薬舗手代という名で誕生し、処方せんの調薬という役割を与えられらのである。
 明治政府の指導者たちは米国に範を採り、近代国家として制度を整えるに当たって、医療では第一に診察料に関心を示し、薬代に目を付けて医師から薬を取りあげるため、薬の調合の技術者として薬剤師を作ってしまったといえよう。
 これは、新しい基礎の定まらぬ政府の、人心をつかむ方法としては卓抜なねらいであったかもしれないが、既得権を主張して薬を取り上げられまいとする医師と妥協せざるを得なくなり、ついには現在の医師法、薬剤師法にまで及ぶのである。
 新職業として創り出された薬剤師は、薬の販売(昔は売薬と呼ばれ、現在では家庭薬、一般薬と言われる範囲)もできることとされた。言いかえれば、昔から薬を売っていた人々は薬種商として認められ続けて来ており、薬を売るのはむしろその人々(現在全国で約1万7000店)の役目とされて来たのである。
 わが国の薬剤師はこうして左右を医師と薬種商に狭まれ、時には激しく衝突しながら現在まで争い続けて来ている。それも薬代という経済問題で争うべく宿命づけられて誕生した薄幸の職業というのは、あながち筆者の偏見とはいえまい。

薬剤師のル-ツ
 この、薬剤師職業の輸入元、故郷はいうまでもなくヨ-ロッパである。今でもヨ-ロッパは憧れの対象であり、海外旅行の焦点の一つである。とくに、ここ数年前から中部ドイツのロマンス街道の古都巡りは人気が高い。
 ロマンスというか、ロ-マ街道というのか、南ドイツのアウグスブルグからフラントフルトまで数百キロの間に、点々と中世からの小都市が連なり、変化のある風景とともに絶好の観光ル-トとなっている。
 この街道は北イタリアとハンザ都市(ハンブルグなど)を結ぶ陸上交易路として早くから開け、とくにアラビヤを経由してベニスに陸揚げされた故椒をはじめとする香料の道として知られていたものである。
 この付近が薬剤師の故郷と呼ばれるにふさわしい所なのである。
 ヨ-ロッパでは胡椒、丁字(グロ-ブ)、肉桂(シナモン)、ニクズク(ナツメグ)などの香料が、われわれの想像を絶するほど珍重されたといわれるが、その香料がまた薬用にも供されたため、香料商人の分派が薬剤師の先祖だとされている。
 こうした都市を訪れると、市役所や教会のある中心部の一隅に、大きな、一見すると銀行のような薬局があり、今でも仕事を続けているのを見ることができる。
 薬剤師たちは薬の規格を定めたり、技術や資格を明確にしながら職業人として成長して行き、近代の化学はこうした薬局を苗床として育つこととなる。
 もちろん、薬の調合の技術も次第に固まってくるのであるが、とくにヨ-ロッパの特徴として挙げられるのは薬による被害防止である。
 古来、ヨ-ロッパでは「毒」が公然とした武器として、特に女性に認められていたようである。ポルジョワ、メジチ家など貴族の女性の毒殺競爭は有名であるが、都市でも有力者同士の権力争いに、毒殺が横行したことも珍しくなかったといわれる。
 道徳的な束縛なしに、芸術的な毒殺法の考案に生きがいを感じたというのであるからすさまじい。当然のこととして事件の裏には女ならず、薬の専門家、供給者が必要であるが、薬剤師が誘惑に負けて薬の悪用に加担することのないよう注意し監視することが、この社会では問題とされた。
 薬がいくら有用で大切な物であっても、野放しにせず、悪用を防ぐために町や都市の限られた場所に薬を閉じこめてしまい、それを薬局と叫び、責任者を薬剤師ということにしたのである。
 薬剤師以外、医師といえども例外ではなく、薬を持つことを禁止されたわけである。しかし、医師の薬の指示権が尊重されたことはいうまでもない。薬の管理者が勝手に薬を指示してはいけないのである。番人は指示者でなく、指示者は番人でない。これでやっと薬をコントロ-ルすることができたのが、ヨ-ロッパ社会といえようか。
 このため、薬剤師は商人の感じを失ってしまい、薬の番人とでもいうべき独特の職業像を持つことになるのである。
 また今でも、ヨ-ロッパの国々では薬局も薬剤師も数が少ないのが普通である。数の少ないことは国民の側から見れば不便を忍ばねばならぬ場合もあるが、今日わが国で社会的な問題となっている薬の濫用や誤用に対して多くの業種、職業人が混在して、有効な手を打てないのに比べて、小数精鋭ですっきりした薬剤供給のできる要素ともなっている。
 だが、薬局の数の少ないことは薬局間の競争をなくして薬の価格の高騰を招く原因となりやすい。元来、わが国でも「薬九層倍」といわれるように、薬は暴利を得やすい商品である。患者の弱みにつけ込んで駆引きすれば、どうしても必要という場合には九層倍どころか100倍にでも売れるという品物である。
 こうした薬の性質と薬局数を少なく押えていることから、多くの国では薬剤師が勝手に薬の値段を付けることを許していない。昔から政府が薬価令を公布して公定価格制をとり、調剤薬だけでなく一般薬まで規制する習慣となっている。
 町や都市の薬の番人は、今では社会の薬の番人に成長して国中に薬局網を作り上げている。そしてわが国と違うのは、調合の技術者としてだけでなく、薬が悪用、誤用されないよう社会的完全管理を義務付けられている。こうして、薬剤師たちは自分たちの社会での役割を次のようにいっている。
「医薬品は薬剤師によって、国民の住む場所の近くに常に広汎な種類にわたって蓄えられ、完全な状態に管理され、必要な時には望む通りに調合され、随時国民に供給することができるよう準備される。さらにその価格は合理的ではなければならない」

医薬分業は時代遅れか
 一方、米国では社会が新しいため、また様子が違っている。
 米国において競争のないことは悪であり、夢の中でしか存在しないというのは、御承知の事であろう。薬局も例外でなく、競争による進歩が期待され、望むままに薬局を開設することができた。ところが、1800年代の終わりに、当時の最新薬であった鎮痛薬のフェナセチンを買ったところ、アセトアニリドが混じっていたという事件がおきた。ニュ-ヨ-クで調べたところ、343件のうち315件以上に混ぜ物が発見された。フェナセチンの方がアセトアニリドの50倍も高価であったために、同じ白色結晶であることを利用して偽和物を売買するのが習慣となっていたのである。
 いかに競争が進歩の母であるとはいえ、消費者の見分けの付かぬ品物では、儲けのためにとんでもない事が行なわれる一例である。これが今世紀になって連邦の食品、薬品法の制定されることとなる原因の一つとなったといわれている。
 また米国では、医師が薬を持ち、調合することも認められ、わが国と同じように医師が患者に処方せんでなく直接投薬することも自由である。今でもその制度は変わらないが、ほとんどの医師は処方せんを書いている。
 第2次世界大戦を契機に、それまで欧州勢に押さえられていた米国製薬業は世界一の水準と生産高を持つこととなる。同時に、散薬や水薬に代わって錠剤やカプセルなどが使われることとなった。
 わが国でも昭和30年代に製剤技術が急速に進み、同じ現象が起きた。当時国民皆保険の運動によって受診率が急上昇し、調剤の能力が限界にきていたため、錠剤使用による調剤の能率化は喜んで受け入れられた。しかし、反面、調剤とは錠剤を数えたり、はさみで包装をきるだけの事ではないか、との薬剤師の役割喪失が問題となった。開業医の中には、「こんな簡単な仕事をわざわざ薬局でするために、患者を歩かせ、便宜を失わせる医薬分業は時代遅れの制度になった」という人も増えて来た頃である。
 米国の薬剤師たちはもう先刻こうした洗礼を受けており、はやばやと新たな役割を見付けて仕事を進めていたのである。

クリニカル・ファ-マシ-
 薬がだれにも同じように効かず、個人差のあることは昔から知られていたことだが、近年に開発された薬の中に、個人差の度合の大きなものが混じって来たことに鋭く目を付けて、それを掘り下げて行ったのである。ペニシリンを例に挙げてみよう。驚異の新薬としてははなばなしく登場したこの薬は、またたく間に数百万、数千万の命を救う働きをしたが、ペニシリン・ショックがおこることが知られると、一転して恐るべき新薬として足蹴にされまじき評価を受けるはめとなった。
 ところが綿密な調査をしてみると、事前に注意して使うことにするならば、この薬はまたかなり安全に使えることが分かって来たのである。現在でもペニシリンは掛替えのない貴重な薬として使われているが、その場合、決して事前の周到な調査や検査を省略することはない。
 この事前作業は、他のすべての薬物治療にも応用することが必要で、さらに事後にも行なうのが望ましいなど、次第に技術として認められるようになり、クリニカル・ファ-マシィ(臨床薬学)と呼ばれて薬剤師の役割とされたのである。これはまた、ペイシェント・オリエンテッド・ファ-マシィといい、日本訳は患者志向薬学と厳しいが、いうならば誰れのためでもない、「あなたの薬」を慎重に作りましょう、ということである。
「米国で入院すると大変だ。入院費が一日で300ドル、500ドル(約7万円、11万円)もかかる」という悪評がある。実際に病院へ行って調べてみると、よくもまあ、人件費の高い米国でこれだけふんだんに人を使っていると驚くほどに、必要と思われる所には十分に人材を投入している。薬剤師も例外ではなく、薬局に閉じ込めるだけでなく、医局で、看護婦勤務室で、あるいは病室でデ-タを調べたり患者に面接したり、あるいは医師と連絡、協議している。
 病院が儲けるというより、薬剤師だけでなくすべてにわたってのこの入念さ、丁寧さが問題の根源というわけである。
 現在の薬物治療は、これまでと段違いな慎重さによって、はじめて有効と安全が保てるという認識に立っている。
 地域の薬局でも、ペイシェント・プロフィル(薬物治療に必要な患者情報)を持っている、持っていないことを掲示させている州もあるようだ。徹底した慎重さは、いまや当然のこととなりつつあるといえよう。
 医師が十分に注意しながら選択した薬を、さらに薬剤師が点検し、二重チェックした薬を使ってもらうことが常識となりつつあるため、むしろ医師は進んで処方せんを書くというのが米国の姿であろうか。

山積した薬問題
 さて、わが国の状態をざっと分析してみよう。
 第一に、薬は上手に害のないように規制されているだろうか。
 戦後すぐに問題となった「ヒロポン」は、昭和20年代後半に使用経験者200万人を超えると推定されるほどの流行となった。
 昭和30年代に覚せい剤取締法の罰則が強化されるなどで下火となるが、「ヘロイン」の流行、「ハイミナ-ル」による睡眠薬遊びに移行する。その取締りが厳しくなるや、昭和40年代はシンナ-遊びが登場している。シンナ-で補導される未成年者は年4〜5万人にも及んでいる。さらに昭和50年代に入り、再び覚せい剤が盛り返し、年々増加しつつある。
 このほか大麻、筋弛緩剤、LSDなど挙げればきりのないほどの麻薬性薬物による被害が蔓延しつつある。これは薬の耽溺性と呼ばれる性質によることもあるが、裏にはそれを利用した暴力団などの、薬の収益性を狙った動きのあることは周知の事実である。
 アンプル風邪薬事件も、昭和30年後半における高度成長政策時代の落とし子といえようか。
 たくさん飲めばそれだけ効くだろうと、一度に何本も、あれもこれもと余計に飲んだことによる死亡事故である。
 サイドマイド、スモン事件は改めて書くこともないほど社会問題として採り上げられた。
 ウドン粉や汗知らずを固めただけの偽薬が売られ、数万錠を知らずに使ったという類いの新聞記事が、年に一度は現れる。
 このような数々の薬問題に対する洗い直しは昭和40年の半ばから始まり、今に続いている。フランスでは、ナポレオン時代にも既に行なわれたという、この薬の効果や安全の見直しを始めようとして、大騒ぎとなった。
 現在わが国で流通している商品で、医薬品ほど厳しい規制を受けている商品はあるまい。それでなおこれだけの問題を起こしている。
 お金に関しても、薬の評判は良くない。本当は薬物治療で命を救われた数知れぬほどの人々がいるはずなのに、感謝よりも恨みの声が大きいのはどうしてだろう。
 3Kとして、国鉄、米に並び称された健康保険財政は、国民の医療費の大部分を賄っているものの、健保、国鉄ともに慢性赤字を脱け出せないでいる。その張本人が薬剤費だと指摘されて、薬づけ医療(過剰投薬)が槍玉にあがっている。
 開業医だけでなく、県会や市議会での病院赤字の追及を避けるため、自治体病院でも胃散などを余分に出して、少しでも収益を挙げようとしているんだという噂すら聞こえてくる。官民こぞって薬の使い過ぎに協力すれば、病院の赤字は消えるだろうが、保険財政はどうなるんだ、というわけである。
 また、こうした薬づけは薬価基準という、病院が保険へ請求できる価格と、実際に貰える価格、実勢価格の差が大きいため、その差額で儲けようとして起きる。薬価基準こそ悪の根源であり、早急に引き下げるべきだという主張もある。
 一部負担が有効だ、薬代は五割は患者が払うのが望ましい、というものに対して、それは極端だ、せっかく治る人も薬を飲まなくなり、逆行もはなはだしいという人もある。
 医薬分業で解決しろという説もある。それではだめだという声もある。
 近く国会で再び健保法改正の審議が行なわれて、現在なりの対策が始められるだろう。

日本の選択の誤まち
 駆け足で、現在のわが国の薬問題をさらってみたが、価格だけでなく、隋所に問題点があることを理解していただけたと思う。
 わが国では、薬の怖さよりも、薬の恩恵を評価する見方が強かったために、薬を野放しにすると非常な害を社会に及ぼすという発想が、つい最近までなかったのであろう。
 ところが、次第に社会が成熟するにつれて、薬の悪い性質がむき出しにされはじめたのである。さらに、いくつかの悪い性質が重なり合い、組み合わさって、もっと悪くなっている。例えば、簡単に良否の判別のつきかねるという性質は、収益性を刺激する。収益に目がくらんで薬づけが起きるなら、それは適量による副作用を生む、という具合である。
 害作用の方の薬の特性を良く知っていたのは、ヨ-ロッパ社会であった。薬の「魔性」に気付いてそれを押し込めて、表面に出さない方法を考え、良い性質ばかりを利用しようとしたのは、社会の伝統の力というのか、社会の知恵と呼ぶものだろうか。
 明治の指導者たちは、ヨ-ロッパの制度を知って、薬の極端な収益性までをも押さえ込んだ方策をうらやましく感じたに違いない。ところが、ヨ-ロッパ社会と薬剤師たちの長い年月に渡る努力の積み重ねで初めて、薬の悪い、社会にとって望ましくない性質を押え込み、閉じ込めたという実績を理解せずに、薬剤師制度さえ作ればそれで薬代が安くなる、と早合点したのはいただけない。薬のやっかいな性質、性悪な根性はそんな簡単なことで直るものでなかったのである。薬剤師という制度を輸入して調合だけやらせるくらいでは、薬の極端な収益性を押さえられないことを、もっと早く知るべきだったのである。そして、その誤りは今に至るまで続いているといってよいだろう。
 わが国は既に「文明開化」、「なんでも輸入」の時代を過ぎて、独自に考えたり、日本流の制度を生み出す力を備えて来ている。日本式経営や行政の評判だってかなりのものである。
 薬に関しては、残念ながら決して威張れる状態にない。島国であること、治安の良いこと、同一民族であること、教育の程度の高いことなど外的条件の良さに恵まれて、現在やっと支えられている。なにか一つがはずれたら、がらがらと崩れてしまう危険をはらんでいるように見える。
 将来、息子や孫を麻薬中毒に追いやったり、薬の副作用や偽薬の被害者にしないために、対策を立て実行しなくてはいけないが、今、時期として決して早過ぎることはない。
 それも、薬と知恵くらべで負けないよう、薬の性質を知りつくして抜け穴のない体制を作り上げる必要がある。

薬が医師から離れる時
 このような場合に、初めてから「お上」つまり政府にお願い、もしくは要求するものではなかろう。薬の責任者と取り扱う場所、取り扱い方の基本は、国民自らが決めるのが望ましかろう。むしろ社会としての責任である。
 その責任者たちが、国民の期待に応えようとして努力するところに進歩があろう。
 医師は医学的な見地から薬物治療に関して、もしくは薬について、該博な知識と豊富な経験を持つ唯一の職業人である。だから、薬の「魔性」ともいうべき社会的な特性も十分に制御できる、任せよう、というならそれも一つの方法である。
 薬が医師から直接国民に渡されている現実から、社会的責任を感じている医師も少なくない。
 医師に頼む場合は、医師に能力もあり、力もあり、国民の信頼もあろう。しかし、それでなくても忙しい医師が、本気で取り組んでくれるだろうかという問題がある。薬を片手間の仕事とされたら、困るのは国民である。
 薬剤師を選ぶ場合を考えてみよう。
 薬剤師は一見して薬の専門家らしく見えるが、既に何度も述べた通り、薬の調合の技術者として教育されているため、やはり問題がある。薬の裏表を知り尽くした職業人といえない狭さがある。今のままでは難しい。
 しかし、薬を任せる人たちが、どうしても必要というなら、最も近い所にいることも事実である。教育をやり直して、本当の意味の専門家として広い視野で薬を制御する学識と経験を与えれば良い。薬と法学、経済学、社会学の接点、境界領域は現在空白に近い状態で放置されているといってよかろうが、是非ともこうした所に重点を置いて勉強せねばなるまい。
 この人々が育ち上がって、「薬剤師は社会でみだりに薬が使われないようにする責任者で、薬を売った収益でなしに、最も進んだ学問技術によって、その患者に最適の薬を与えたことによる報酬を社会から貰うのだ」という意識を持つようになったら、これは大変な改革である。ビジネスの世界に住んでいた薬剤師がプロフェッションに変貌することである。こうなったらしめたものである、薬を任せて心配はない。
 薬が医師から離れるのは、この時であろう。国民が薬の安全を守ってくれる薬剤師を信頼して、医師よりも薬剤師から薬を貰うことに協力しようというのが医薬分業であろう。
 また、この時こそ薬の過度の収益性が鎮静させられて、薬価基準が適正な価格に落ち着く時でもあろう。薬は太古から、限りない恩恵を人類に与えた反面、想像もつかぬほどの害毒をまき散らした犯人でもある。その害毒を押さえ込み、恩恵だけを自由に使えるようにするのは、その社会の英知である。そのためには不断の努力が必要とされる。わが社会は、今まさにその英知と努力を求められているのではあるまいか。

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