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解説 世界一の開局薬剤師
医薬分業の理念(3,1,1)
・ ファルマシア Vol.11,No.2,1975-2


 医薬分業は明治時代から連綿として薬剤師が主張して来たために、医療関係者以外の、誰れもが一度は聞いたこのある言葉である。しかし医、薬という科学用語と、分業という経済用語から成っているため、理解のされ方はまちまちであった。また、医学、薬学を修めた者も、主張し続けた薬剤師も、各自の胸の中には医薬分業について、何かしらの概念を持っているには違いないが、いざ、言い表すとなると、薬剤師が調剤するのが最も適当であるという、当り前のことになったり、医師殺人論になってしまい、的確な表現ができ兼ねるのが実際である。しかし、医療制度や医療経済、薬剤師の業種などと、様々な立場で政治、経済、社会面で広く使われる術語であるので、放置するわけにもいかず、徒らな混乱を生む原因ともなることから、日本薬剤師会、分業対策特別委員会は、今日的な医薬分業理念を明らかにして、かつその具体的な方策の方向を定めることについて諮問を受けた。昭和49年6月より審議中であるが、答申について発表する立場にないので、私見として述べることとしたい。

昨今の状勢
 この医薬分業について関心が高まりつつある。去る昭和49年8月、中央医療協議会で、医師の処方せん料が50点500円に決められたことで、一部には医薬分業必至と、長年の薬剤師の主張が通ったとして快哉を叫ぶ薬剤師のある一方、この措置だけで熱狂することはない、冷静に厳しい現実を直視しようという声もある。
事実、今回の点数改訂は医師に対する経済的な措置であって、それ以上は全く、これからである。さらに、500円を積算してみると、年間数千億円にも達する額であって、医療費の増大など国民の賛否もこれから問題となると思われる。ともあれ、急速に漲って来た、ム-ドのあることは事実として認めたい。

明治の薬剤師職業
 先ず、医薬分業が唱え始められた頃を、振り返ってみよう。古くから、政府が調剤を分担する者として薬剤師の制度を作り、学校を設けて養成した結果、多くの薬剤師が存在する。故に政府は薬剤師に仕事を与えねばならないのであって、これが医薬分業を制度として行わねばならぬ理由である。という簡単明瞭な主張がある。たしかに明治7年、医制*1)を公布して薬剤師制度を取り入れたのは、時の政府であった。しかし、百年を経た現在、社会、医療のどれをみても当時と大違いの実態であるから、ただそれだけの理由で、分業とすることにはならない。
 ともあれ、薬剤師職業を誕生させた趣旨については、医制公布の前年に公にされた医制制定についての上申書に「古より医術に関する法制が無い為に、医師は自ら薬をひさぎ、その為に今日百端の弊害を釀している。」という意味の文章がある。ここで言う医師が薬を売る弊害とは、薬の高価に過ぎる事をいい、薬の技術的な内容を意味しているわけではない。医師を経済的に牽制する意味で、薬剤師という職業人を欧米諸国に準じて創り出そうとの意図があったに違いなく、この意図は現在に至るまで十分に生かされ、医薬分業は常に医師への経済的牽制として持出されるという体質を持つこととなった。このために、薬剤師の役割もそれに都合良く、医師の薬を肩代りするに足りるだけの調剤と限定されてしまうことになった。例えば、通常薬剤師に同時に課せられる医薬品全般に対する品質管理は、司薬場に主点が置かれるなどで分散され、欧州の制度に対する理解が足りなかったのか、また意図してそうなったのか、生れ出た薬剤師は、親に似つかわしくない、虚弱体質を持っていたようである。
▼ 19世紀の欧米の薬剤師
 その頃、欧州では、薬剤師と薬学は共に、大きな変動期に直面していたことは、既に周知の事である。天然物に加えて、工業的に生産される薬が日増しに多くなって活気に満ちた時代を迎えつつあった。わが国の薬学も、この影響から製薬の分野から始まり、その後も薬学の中で大きな比重を占めることになる。さらに産業革命以後、都市と農村の構造の変化に伴って、薬局の配置の変化や、業権争いが起きている。例えばドイツの薬局薬剤師は1872年に強い作用を持つ生薬を除いて、調合しない生薬原料の取扱い独占権を失っている。その上とも業権を失うまいとする努力が、特に調剤を重視する動きになったのだろうか。「調剤の業務は実に薬学終局の目的にして、之に関する諸般の学課は畢竟、調剤を行う階梯幇助なり・・」というハ-ゲルの言は、この背景によったものと理解できる。これは、調剤のみを強調したわが国に受入れられて*2)、長く薬剤師意識の基礎となった。
 しかし、薬局の薬剤師の他の面での動き、例えば社会活動については、街の化学者という抽象的なイメ-ジとして、理解するに止まって、詳しく伝えられず、関心も低かった。Becman*3)は19世紀のフランスの薬剤師の、医学アカデミ-等との協力で、秘密薬退治や、商標薬詐欺防止等の努力や、また再評価、医薬品の基準化について触れている。イギリスでの動きはStieb*4)が、米国における薬剤師の貢献についてはSonnedecker*3)等の調査があるが、Urdang*5)は「19世紀の半ば頃までは、アメリカ合衆国は、まるで薬品のごみ捨て場のように、不良薬品、偽薬や代用品などが氾濫していた。それはヨ-ロッパの悪徳商人どもが、本国では見向きもされない粗悪な医薬品でも、アメリカ人の払うわずかな金で処分するのであった・・」と述べ、このわが国と類似している米国の様子と、この状態を解決するため薬局の薬剤師が薬剤師会を設立して、また学校を建て、*6)組織を作って不良医薬品の監視と発見に努め、一掃を計った経緯に触れている。

調剤願望に終始したわが国の薬剤師
 話をわが国に戻すと、大正14年に制定された薬剤師法*7)は、その第一条に、薬剤師は処方せんによって調剤するものとし、加えて「薬剤師は薬品の製造及販売を為すことを得。」とした(注、西ドイツの薬剤師法)
 この追い討ちを受けて、わが国の薬局の薬剤師の調剤願望は決定的となり、現在に至っている。街の薬局で薬剤師は、調剤が少ないから世過ぎの方便として、薬を売り他の商品を扱っているという意識は、もうすっかり固定して、定着してしまっている。たしかに、分業とは調剤を薬剤師が行なう事に違いないが、それのみに固執した態度は、或いは医師を牽制しようとする政府には都合の良い事だったかもしれないが、医薬分業を狭く医師と薬剤師の問題にしてしまったこと、国民の立場を無視した業権問題として理解される色彩を強くしすぎた事は、大きなマイナスとなった。
 現在、調剤偏重のこの医薬分業論に対して、数々の疑問が提出されている。製剤化の進んだ今日の医薬品の調剤とはどの様な技術なのだろうかという質問、それだけで現在よりも不便になるだろう医薬分業に賛成できるだろうか、という疑問は医療関係者の内外を問わず特に多く寄せられた。また製剤された医薬品については、製造の段階で品質管理を十分に行えば、それ以後の管理は不必要ではないか、という考え方は、医師はじめかなり広くの人々に支持されて来た。製剤化によって薬が使い易くなったことを、素直に喜ぶ人の多かったのは事実であり、薬剤師自身も次第に安易な考え方に傾いたことも否定できない。
 注ぎ込みと数えるだけ、つまり製剤のシロップを小瓶に取り分け、錠剤とカプセルを数えるのが薬局での調剤である、と決め付けられたり、薬局の薬剤師の仕事は、棚から包装された製剤を取り出すことだけ、との厳しい批判が与えられて、口惜しまぎれの反論も理屈にならず、薬剤師無用論まで持出して、自嘲する薬剤師も現われたのは、製剤化の進んだ昭和30年代であった。

世界の薬剤師の動向
 同じころ、世界的に薬局薬剤師に対して不満が高まりつつあった。社会的に、特に二次大戦以後急速に各国で整備された医療制度、社会保険と社会保障制度に対して、薬局の適合の仕方に不満足の点があると指摘された。経済的にも、薬物治療の質と量が急激に拡大された為に、医薬品消費が急上昇して医療経済に大きな影響を及ぼす結果となるにも拘わらず、効率的な供給と医薬品価格の積極的な引下げに、何等薬剤師は協力していないとの批判が多くの国で提起された。
 わが国では、この対象は薬を扱う医師に向けられ、医師はこの悪評を甘受せねばならぬ立場となった。「医師が薬で儲ける。」「バスケット一杯の薬を診察の際に、抱えて帰る。」等々の悪口は、人口に膾炙している。その上、わが国の場合国民まで薬好きの烙印を押されてしまったが、一方薬物治療によって多くの人々の寿命を延ばし、命を助けたことは事実なので、その面を評価することが必要である。

疑われた薬剤師の存在理由
 薬への取組み方が安易であることを、徹底的に反省させられたのは、やはり薬害問題であり、特にサリドマイド事件であろう。わが国では当の製薬会社と、承認を与えた行政に対して焦点が絞られているが、幾つかの国々では、薬局薬剤師をも巻き込んでの騒ぎとなった。薬剤師が医薬品を独占的に供給している場合には、安全を欠く医薬品の混在は、薬剤師職業のレゾン・デ-トルに係わる重大問題となるのは当然で、直ちに真剣な対策がとられたことはいうまでもない。
 安全性の問題については、本質を衝いていない面もあるように思われるので、ここで取り上げて見よう。昔から、薬が一面有毒であることは広く知れ渡った事で、人を殺し、傷つけることを目的として、薬が使われた事も多く伝えられている。さらに、ergotism*8)と言われる麦角による広範囲に及んだ中毒は、記録された8世紀頃から約千年にわたって、一度に数万の人々を死亡させたこともあり、自然の大量殺戮が行なわれた例として忘れられない。こうした事から、医師や薬剤師だけでなく、総ての人々は薬は効く場合もあるし、害にもなることもあると知った上で薬を使っていたことは間違いないことなのであって、この見方からすれば、危険を承知の上で使うならば、安全は程度の問題で、要は薬を用心深く使うことが大切なのだ、という結論となる。例を挙げれば、腫瘍の治療に、致命的でない副作用によって他の組織や機能を損なうことがあるかもしれないが、命を救うための薬なら致し方がなかろう、ということで、むしろ安全を強調し過ぎると、有効な薬は姿を消してしまうに違いない、と心配する人もある。
 ところが、現在の安全についての考え方は、次元が違った事であろう。原子力船「むつ」の放射線もれが問題となっているが、放射能では、とても生命や健康に関係しない程微小のレベルが問題にされ、特にC14に異常な関心が払われているのは、現代に生きるわれわれが対象ではなく、次代の、未来の人類と生物を虜っての事である。生物学が分類や形態の学問から脱皮して、生命の本質の物質面からの解明に急速に近づきつつあり、鮮やかさを見せている。中でも発生や遺伝のメカニズムが明らかにされて行く最中に放射線の影響による障害が確認されて、現代に生きる者の、未来に対する責任から、放射線のレベルを極力押えるという考え方は当然といえよう。
 この核と同じ怖さが、われわれの扱う薬、化学物質にある、薬もまたその仲間とすれば、安全性は程度の問題ではなく、深刻な課題として受け止めざるを得ないのである、さらに、現実に市販されている薬の中に、発生の過程に影響するものが現れたことは、将来共これに類した問題の起こることを考え合わせて、事態の認識を迫られたのである。

薬学、広くは科学技術に対する不信
 深刻さを反映して立てられた対策に言及する前に、是非共触れなければならない事がある。
 当初は純粋な学問研究として進められた核の開発が、ナチの原爆保有の恐怖から、武器として使うことに科学者達の協力を集め得た、二次大戦中の経緯から見ても、学問の自由という原則を乗り越えても、研究を禁止したり、制限したりする分野の科学があるとして、その検討を求める声が強くなりつつあることである。
 科学技術を見る眼が、急速に変化して、技術革新といわれる進歩が、案外に人類社会に大きな利益をもたらさない、有害であるとの反省が生まれている。悪用さえなければ科学技術は善である。
というのは科学技術に対する盲信であるとの決め付けも珍しくない。占いに頼るという非合理的な思考をとることでもなく、現在の科学技術の進歩が大層片寄って、社会が耐えられなくなることを心配しているのである。沢山の研究者達が、競い合って、研究を進め行くことが心配なのである。例えば、移植手術は、先年、心臓移植で問題を提起したが、首から上と首から下と別の人間を縫合できるようになった場合、一体それは誰なのか、いまの宗教や法律が解決できるとは考えられない。また人工受精によって、現在の夫と妻によって家庭が作られるという概念の変化に、社会や経済が、また倫理が対応できるだろうか。
 薬学と薬剤師は、既にこの種の幾つかの問題を抱えている。薬を開発する場合の、人を治す薬の為に、人を使って実験するという難問には、ニュ-ルンベルグ以来、その道を付けることに悩んでいる。L.S.Dに代表される幻覚剤についても悩みが絶えない。
他の幾つかの分野の科学と同様に、もはや薬学は盲目的と見える進歩への憧れを、一時的にもせよ捨てねばならぬ時期に到達しているともいえよう。
薬全体の洗い直しを迫られているように、薬学は全体として問い直されているといっても過言ではない。
 歴史と社会と法律と経済と政治と宗教と、それぞれの調和を見出すことが、解決への第一歩としてとられようが、実務に従事する薬剤師も同様であって、現在の薬学をふくむ科学技術の危機を正しく認識することから、将来の薬剤師像が生まれると思う。

薬剤師の役割
 本来、国民の立場からすると、国民自らが使う権利を持つ薬について、自らの手で安全に管理することが不可能と知り、薬剤師に取扱いと管理を委任し、その中のさらに医師の指示によることが望ましい薬のみ、指示を医師に委ねたのである。薬剤師はこの要請に応える立場にある。
 ところが、開局薬剤師は主として経済的な観点から薬局を営むのであって、地域住民の立場は忘れられがちであった。しかし現在、総ての国民の住む生活の環境として、公害、水の供給、下水道、ゴミ、自然環境保護等について、教育、消防施設等と共に地域格差なく、一定の水準が要求されて地方自治体の行政の目標とされているが、これと同様に、地域の医療水準の設定、あるいは向上の前提として、薬の地域的な完備が必須のこととして強く求められている。したがって、開局薬剤師は、先に述べたように調剤のみに止らず、地域の必要とする広汎な種類の薬の保管と完全な管理、情報の収集、管理、提供など幅広い役割を持つうえに、総ての地域に適切な薬局を配置して、その合理的な経営によって維持せねばならない。医師に代って薬剤師が期待されるのは、まさにこの点であるといえよう。
 これまで、われわれは薬を開発、製造、流通、薬局と“線"でとらえて来た。地域という、そこに国民が住み、医療が行なわれている“面"としての取組に欠けていたきらいがある。医薬分業とは、薬と薬剤師の活動をこの面を通して見ることであり、今後とも、この視点は強調されることとなろう。薬が、この線を逸脱することなく流れて面に達し、面で的確な取扱いがなされるとき、はじめて国民の期待に応える可能性が生れる。
現実の問題として、この供給体制作りは極めて困難である。薬局は面に適正に配置されねばならないが、薬局数と規模は反比例する。規模の大きなことは配置の面からみれば好ましくない。比較的小規模がむしろ好ましいが、機能的な充実に難点が生れる。機能の伴わない薬局では薬剤師としての役割が果せない。
 本来、医薬品の管理水準は、開発から薬局まで同一であることが望ましい、製造段階で特に厳しい管理が求められても、仮りに流通での水準に及ばぬ所があれば、そこで折角の品質も低下する可能性がある。薬局でも同様であって、さらに規模が押えられると、十分な管理機能を備えるわけにはいかない。
 そこで考えられたのが、システム構想である。

供給のシステム構想
 安全の度合を高める、また安全を守るという意味から薬剤師は飛行機のパイロットと同じ役割を持っている。航空路を飛ぶ飛行機が、いくら速くとも、どんなに快適であっても、安全を欠くことはできない。このために、安全を守るための工夫がこらされて、その施設は全世界の至る所に設けられている。これは飛行機にその総てを積み込むことができない為に、張り巡らした施設の助けを借りるのである。この点、規模を大きくできない薬局と、飛行機は同じ条件にあるといえる。パイロットは、常にこれらを監視しながら、時として管制官の指示を得ながら、操縦するが、薬局の薬剤師も同じように、自らの薬局に、必要とするものを備えるが、それだけではなく、外部の助けを借りて安全を守ることは、できない相談ではあるまい、この場合、飛行機は何処を飛んでいても外部との連絡ができるが、何処の地域の薬局の薬剤師も、同じように助けを借りられるような準備をすることが必要で、これは安全を守る機能を地域的にシステム化することによって目的を達することができよう。
 また、現実には、個々の薬局は、それぞれに個人の薬剤師が経営しているために、これを統一とか合同することなく、そのままの形で上手に助け合う体制を作ることもまた、大変な困難が伴なうと思われる。しかし、あたかも統一体のように、組み合わせるだけで、あとは個人の努力で盛り立てて行くやり方ができない理由はない。

薬局と地域施設の間の分担
 薬局が、総ての施設、設備を自らの中に持てない以上、その仕事を分担する施設を作らねばならない。さらに、その施設と、薬局の連絡を考えると、施設の位置が決って来る。薬局が、自ら行なえない仕事は、特に製剤、試験と情報管理であるといえる。これを行なうに足りる施設の内容については、今後共詳細な検討が必要であろう。
 しかし、ここで大切なのは、これ等が本来、薬局が自身の中に組み込んで持っているべきものであって、ただ規模の問題から、たまたま外部にはみ出したに過ぎないということである。さらに、この施設の他の施設と連絡する。また中央の何処かと連絡することがあって、それ自体もまた網の目の一つなのである。こうしてさらに大きな網が作られシステムが作られることとなる。

システムへの適応
 これまで薬局の薬剤師はもとより、ほとんどの薬剤師は、本質的には個人として、また個人的に業務を行って来ている。
 また、パイロットと比較してみよう。パイロットは数人の他の乗組員と共同作業を行なうが、その人達と共に安全管理システムとでも言うシステムに組み込まれて、その中で操縦することになる。こうしたパイロットの性格と能力について、「ジェット機というものは、高度のシステムなのですから、(パイロットに)曲芸飛行をやるような名人芸は要らないばかりか、むしろ害になることさえある。むしろ大切なのは、システム全体を理解し、その中における自分の役割を冷静に判断し、マニュアル通りに操縦する。いわば“システム・エンジニア"でなければならないのです」*9)といった指摘がある。薬剤師の業務のすべてがこれに適合するかどうかは別にして、安全を守る立場にある人々の資質について、深く考えてみる必要のあることを示唆した。貴重な意見であろう。薬剤師の薬の安全を守る態度は、ここに指摘された、曲芸飛行とまで行かなくとも、個人的な、思い付きで左右されても良い筈はない。
 実務の場でも、教育の場でも、薬剤師の業務の中に、こうしたシステムの中での業務が次第に広がり、システムに適合し、それを駆使して行くことについての検討が必要となろう。
 さらに、安全を守るという、開発から薬局までの総ての薬剤師が一つのシステムの中で働く意識とさらにそれに基づいて組立てられた学問を習得し、実際に応用する技術が求められよう。
 さて、本題の医薬分業が、何処かに飛んで行ってしまった印象を持たれるかもしれない。しかし、薬が本来どのような管理のされ方をするのが望ましいかについて堀り下げることから始めて、その結果として、医療では医師が薬を取扱わないという、行為としての分業が行なわれる必然性を道筋としたいと考えた。言うなれば、開発から、製造、流通、薬局までの一貫した流れと、地域での医薬品管理こそ重要なのであって、これによってのみ医薬品の完全な供給を、薬剤師として国民に保証することができ、さらにこれを医療の中から見た場合に医薬分業と言い、もしくは、こうした薬剤師職業の、本質の端的な表現を医薬分業という言葉で言い表すこととしたいと考えている。
 社会制度、医療制度、或いは経済の面からも検討も当然であるが、ここでは一切こうした面に触れなかった。
 およそ、纏りのない文章となってしまったが、検討審議進行中ということで寛容を期待したい。

参項文献
*1)医制八十年史、厚生省、1955.
*2)小林九一、“調剤術講本"、南江堂、東京、1893.
*3)J.B.Blake,et al., “Bafeguarding the Public,"johns,
Hopkins Press,Baltimore,1970,p.3.
*4)E.W.Stieb,"Drug Adulteration."U.of W isconsin Press,Madison,1966.
*5)ジョ-ジ・ウルダング、“薬学、薬局の社会活動史"、“清水藤太郎訳、南山堂、東京、1973,p.10.
*6)A.Osol. et al,"A Sesquicentennial of Service of the P.C.P.S,"P.C.P.S,Philadelphia.
*7)下山順一郎、池口慶三、“日本薬制註解(第六版)"、南江堂、東京、1930.
*8)H.バ-ン、“くすりと人間"高木敬次郎、粕谷豊訳、岩波書店、東京.
*9)柳田邦男、“続マッハの恐怖"、フジ出版社、東京、1973、p403.

 「注:ドイツ連邦共和国薬剤師法(1969)」:
 第一条 薬剤師は、国民に対して、秩序ある医薬品(Arzneimittel)の供給を行なうことをもってその職務とする。薬剤師は、その職務を通じて、個々の住民ならびに国民全体に奉仕する。
とあって調剤については触れていない。

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