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加州紀行印象記(2,1,1)
開局薬学研究誌,Vol.1.No.1:1983
オ−クランドからサンマテオの辺まで、サンフランシスコ湾の上空には黒いスモッグがたなびいてはいたが、冬のサンフランシスコ(SF)は晴れて暖かい日ざしが降りそそいでいた。空港から街へ北上する101号線は片側4車線もの自動車道であるが、相変らずの車の数であった。小さい車、特に日本車が多くて、車の周囲だけを見れば東名高速道を走っていると錯覚する程であった。出迎えてくれた息子、善郎は「日本車は人気がありプレミアが1,000ドル以上も付くものもあり、日本では考えられないほど高価なのですよ。」とホンダ、トヨタの例を挙げて説明してくれた。「なる程それでは貿易摩擦の起きるのも仕方がない」と感じると共に、20年前(1962)に初めて渡米した際に、SF空港から丁度この同じ101号線に乗り、通勤のラッシュに出会い圧倒的な車の数に声もでない程に驚いたことを思い出した。
当時のわが国の自動車の年産高はたかだか30万台前後で、日本が米国と肩を並べる程になるとは想像もできない時代であった。米国の格段に違う生活程度、底知れぬ豊かさや活力をまのあたり見て永久に追い付くことの出来ぬ国とあきらめ、むなしさが先立つ程の「差」を感じたものであった。
ところが現在では「ロ−カル・コンテンツ法案」で輸入自動車にも強制的に米国製部品の使用を義務づけようとしたり、「ガス法案」によりガソリン税の増収を目論んでいるとTVニュ−スで伝える程に、むしろ米国の苦悩は深刻である。
今回は他にも目的があったが、何回かのそれ以後のカルフォルニア訪問を度外視して、20年前と殆ど同じような見学を予定してみた。当時と現在のSF周辺の開局薬剤師、地域薬局の印象を比較してみようと考えた。薬局実務でどのような問題点があるのか、どんな点で悩んでいるのか、是非知りたいものと考えた。
幸い東薬大の粕谷泰次教授がカルフォルニア大学(U.C.)のカスタニョリ教授に連絡して下さり、SF留学中の岡希太郎教授が案内して下さることとなった。一方善郎はカルフォルニア薬剤師会で何人かの開局薬剤師との訪問の予定を取っておいてくれたので、かなり忙しい旅になりそうな予感と、期待をもってSFに入ったのである。
◎ UCSFの医療センタ−
終戦後、まだ混乱の治らぬ昭和24年(1949)に米国薬学使節団が来日し、わが国の薬事制度や薬学教育の全般にわたって改善の勧告を行ったことがある。その時、副団長として活躍されたのが、UCSFの薬学部長 Dr.T.C.ダニエルス氏であった。
1962年の渡米の際に私がお伴した可児重一氏(元日本薬剤師会副会長)はダニエルス氏と旧知であり、SFで是非とも再会したい意向があり、薬学部長室でじっくりとお話を伺う機会に恵まれた。可児氏と共に質問した、数多い問題の中で、
1)米国の幾つかの都会を廻って来たが、街の中で見る薬局はどうも活気がなく疲幣しているかに見える。米国の薬剤師の将来は明るくないのではないか?
2)それというのも、米国では製薬、製剤の技術が進み薬剤師の薬局での調剤は古くさい技術として捨て去られてしまうのではないか?
特にセルフサ−ビスの販売形態が普及すれば開局薬剤師は不必要になることは考えられないか?の二点は自分にとっても興味のある、ききのがせないものであった。
これに対してダニエルス氏は、寧ろ我が意を得たりとばかりに身体を乗り出して、極めて懇切に米国の実態を説明されたのである。
1)貴方がたは米国を旅行されて気が付いて居られるだろうが、夜の街には殆ど人が居ないでしょう。米国では特に戦後は都市に人が住まなくなってしまったのです。毎朝、働くために街に出て来て、夕方には郊外のわが家へ帰るのが習慣になったのです。昔は街に人が住んでいたので、街角にはドラグストアがあり、薬剤師が薬を他の商品と共に扱っていたのですが、今は違います。ですから閉店した街角のドラグストアの売り店の広告が出ているでしょう。繁盛している所は少ないのです。だからといって、薬局が衰退していると早合点しないで下さい。この何年か、薬剤師達は住民と一緒に移動を始めたのです。都会の周辺の住宅地には良い薬局が生まれつつあります。
SFの周辺にもそうした住宅地(Community)が急速に発展しつつありますから、その幾つかを是非見て下さい。そうすれば薬剤師や薬局が新しい場所で発展しつつあることを理解して貰えると思います。
2)第2の点は薬学教育にとって本質的に関連したことなのです。第二次大戦後は幸い米国の製薬業は世界をリ−ドすることができました。このため良質の医薬品が適切な価格で供給されるようになりました。これは国民にとって望ましい事で、開局薬剤師の利益のみで錠剤やカプセルではなく、原料で供給せよとは言えない事です。では開局薬剤師の仕事が失われたのでしょうか。薬学は伝統的に化学的に良質で有効な薬を追い求めて来ました。
薬学教育もその道筋に沿った教育を行って来たのです。しかし、本当はそれだけではないとの反省があるのです。われわれは薬を服むのは患者だということを忘れています。現代の薬は昔と違い、もっと注意深く患者に与える必要があります。誰かが注意すれば未然に防げる副作用も多いのです。それを医師に負わせることは、もちろん医師もこれまで以上の慎重さを要求されるでしょうが、それでなくとも忙しい医師の負担になり過ぎます。
丁度、薬剤師の手があいたこの機会に、薬剤師がこうした努力をすることは薬剤師自身も望む所ですが、患者の立場から、はかり知れない利益を受けることであり、医師も期待してくれています。伝統的な化学に重点を置く薬学も「製薬」では大切ですが、新しい臨床的(Clinical)な場所で働く薬剤師の為の教育をUCSFでは始めています。私は老人でもうすぐ引退するので40才前の若い教授達が引続いてこの分野を伸ばして行ってくれることを期待しているのです。
こうして数日間USCFの医療センタ−、SFとその周辺の薬局を見学したのであるが、新しい薬局(Community Pharmacy)、新しく誕生した薬学(Clinical Pharmacy)の力強い息吹きが重なって忘れられぬ思い出として残っている。
当時の医療センタ−の薬局はわが国の病院薬局と同じに製剤工場とも言えるような製剤室がある薬局であったが、今回はEric T. Herfindal教授の御案内で当時はまだなかった外来診療所の一階薬局と各階のサテライト薬局を見学することができた。これ等の施設については既に紹介されていると思うので、特に興味をひいた点のみを挙げよう。
外来で診察を受け、処方せんを貰った患者は原則として、その傍にある薬局分室に処方せんを出すことになる。
この薬局はコンピュ−タを置いた机、参考書の為の本棚、椅子4〜5脚、サンプル薬を収納したロッカ−のみのせいぜい4畳半か6畳程の小部屋である。
訪れたのは産科、婦人科、精神科などのある外来診療所の8階のエレベ−タ脇の、Pharmacist Rom Ru-ggiero Pharm D.と表札のある部屋である。
Ruggiero氏(Assistant Professor)の仕事は、
1) 外来患者の処方せんを受取り、コンピュ−タに入力し、患者のインタビュ−を行うこと。
(副作用モニタリング等を含めて)。
2) 受胎調節(Family Planning)についての指導を行うこと。
3) 学生に対する教育と指導
4) 治験薬(IND)の治験、管理を行うこと。
5) サンプル薬の投与を行うこと。
等である。
ちょうど、乳児を抱いた若い母親が処方せんをRuggiero 薬剤師に提示している所であった。患者の緊張をほぐすような会話を交わしながら、てきぱきと作業を進める。コンピュ−タ端末に患者のIDを入力し、調剤薬の値段を患者に告げたり、薬物アレルギ−の有無の再確認や、OTCの同時服用がないかなどを尋ねる。産児調節(Family Planning)のパンフレットを渡し計画産児の重要性を説明する。「なんでも訊いて下さい?」と質問を促すと、「その薬はお乳の中に入って、赤ちゃんに影響を与えませんか?・・」「なる程、心配ですね」とばかり、手際良く本棚から参考書を調べて「何の心配もありません、大丈夫ですよ。1階の外来薬局で薬を買って下さい。」
こんな調子で約2分で1人の患者が終わる。その後、幾つかの質問に答えてもらった。現在はこの患者面接(Patient Interview)は時間的制約から外来患者の全数について行うことができないので、妊婦などに重点を置いていること、精神科の患者では、特に時間を要すること、産児調節とRefile(再調剤)については次第に医師から権限を任せられて来ていること、Sample投与とは鎮痛剤の短期使用などの場合、1階薬局に廻さずに此処で直接患者に投与していることを指すのだそうである。
その間に医師から電話があり、患者がその医師の指示以外の薬を服用している疑いがあるので、薬歴などを調査するよう依頼があった。こうした問題はかなりの頻度で問合せがあるとの話であった。
入院患者に対する病棟での薬剤師活動については、何度か見学したことがあるが、外来患者を対象としての情報活動の実際を初めて見学することができた。
◎ Ron KEIL氏(The Village Medical Group, Pharmacy)
オ−クランドから南下して、サンタクルズに向かう17号線がサンノゼ市に入る頃に左折すると、数マイルでThe Villageと称する団地に至る。この団地は17年前に開かれてから次第に整備され、現在は1,500戸、人口2,500、1,200エ−カ−(約480ヘクタ−ル)の面積を持つ私営団地となっている。20年前にダニエルス教授に指摘された住民の郊外流出は、こうした開発業者の積極的な団地造成によって支えられているうえ、むしろオフィスの方までも都会から脱出する傾向にある。
わが国と比較して、団地それぞれに特徴を持つものが多い。このThe Villageは1戸当り20万〜30万ドル(4,500万円〜7,000万円)程度の、米国としては比較的高所得層を対象とした、独立家屋のみの団地で、スポ−ツ施設(ゴルフコ−ス、テニスコ−ト等)ショッピングセンタ−、郵便局などを付設している。最も変わっているのは45才以下の入居を認めない、つまり熟年者団地ともいえる高年齢層を対象としていることと、外来者の訪問、通行を原則的に禁止して警備員がチェック、夜間のパトロ−ルを行うなど排他的な管理を行っていることである。
住民の健康管理の為に、中央部の一隅に平屋建の保険センタ−があり、The Village Medical Groupと名付けている。外来診療所の正面ドアを入ると、そこは患者待合室であり、すぐ左手ドアにPharmacyの表示がある。ドアを開けると中は1坪程のスペ−スで壁面全部の棚にOTCが並べてある。奥の部屋が調剤室で、腰迄の低いドアで仕切られている。木造、黒ステイン塗りの素朴な家庭的な感じの造りである。Ron Keil薬剤師はこんな薬局を夢見ていたそうで、彼とコンピュ−タを操作している女性と二人で仕事をして、1日50〜70処方をこなしている。
「私のアイデアでこの薬局を設計しました。情報管理に重点を置いた経営を目指しています。この団地の入口のグロッサリ−ストアの角にもドラグストアがあります。そこはショッピングには好適でしょうが、患者の為の場所もなく、患者情報も管理していません。競争を有利に導くためにも重要だと思います。」
○ 患者情報(Patient Profile, Drug History)はどのように管理していますか?
「現在は約2,000名のPatient Profileを持っています。(引出一杯の患者カ−ドを見せながら)、この台紙カ−ドに基本的な情報を手作業で書込みます。調剤の度にタイプするラベル(用法紙)が2枚コピ−となっており、1枚を投薬瓶に、1枚をこのカ−ドに貼付けてDrug Historyとしていました。患者数が増えて、手作業では完全な管理ができないので、1ヵ月前にコンピュ−タを導入して、現在はそれに入力中です。
○ 患者情報はどうして集めますか?
「最初の来局の際に、薬物アレルギ−などミニマムの重要な患者情報について尋ねます。その時は医師の待合室で1時間も待たされたりした後なので、詳しいことはアンケ−ト用紙を配布して、患者が家庭でくつろいで居る時に薬剤師の役割を読んだ上で記入して貰うことにしています。」
○ コンピュ−タを導入した感想は?
「最初の3週間はひどいもので、ダウンするやら・・(女性もその頃の苦労を身振りで表現してくれた。)患者が3ヵ月周期で来局する(1日1錠の服用、100錠の投与が普通)ので、3ヵ月間で情報をコンピュ−タに移すことを目標に努力中です。
しかし、コンピュ−タにどれ程完全に情報を入力しても、それを使うのは薬剤師自身で、見落したら何にもなりません。
○ カルフォルニアでは一般名薬(Generic)の代替を認めているそうですが?
「通常、医師は商品名で処方を書きます。特にその商品名を指示しない限り、カルフォルニアなど47〜48州では法律でGeneric(ぞろぞろ品)を調剤して良いことになって居り、患者が(経済的な理由で)Genericを希望した場合には薬剤師は自身の知識と経験に基づいて適切なGenericを選びます。パ−クデビス、CIBA、SKF、イ−ライ・リリ−の様に日本でも知られているような会社も商標薬と共にGeneric製造者でもあるわけです。こうした記録や在庫管理のためにはコンピュ−タは大変に有用です。」
わが国の常識からすれば、一見第2薬局と見倣されそうな構造の薬局であるが、Group Medicineを支えるHealth Professionの一員として、住民の方を向いた仕事をしていることは当然とはいえ評価されねばならなかろう。こうした形の薬局でも、常に競争を意識して、良質で安価な薬を提供する努力を欠くことのできないのは如何にも米国らしい。
都市の住民の郊外流出は次第に様々な団地を生み、もう流出と言うより、住民は郊外の適地に定着し、第2世代も同じような環境を求めている。
このために薬局もその住宅地(Community)に適合した形態と規模を持つようになっている。薬局があって、住民があり、医療があるのではなく、住民が住む場所に医療があり、それに適合して薬局があり、薬剤師が仕事をするのが本当の順序なのはいうまでもないことである。
Generic調剤の件も、歴史の流れを感じさせる。わが国での問題としてでなく、米国での1つの流れとして捉えてみよう。製剤に付けた商標名を尊重しようという動きは、むしろ米国で強調され、押進められて来たものであった。特許権、著作権、商標権などオリジナリティを大切にすることで活発な創造性を維持しようとした社会であった筈である。
ところが、一方で医薬品の開発技術の進歩と共に、医薬品の有効性の評価に関する学問や技術が進み、製造承認の際の有力な武器となり、効果の同等性(Equivalency)を学問的に検討することが可能となった。加えて、国民生活の面からすれば、御多分に漏れず医療費の高騰は生活費の圧迫要因として無視するわけにはいかなくなって来ている。とするならばGeneric(わが国で言う所のぞろぞろ)の使用は真剣な問題とならざるを得ないことになり、カルフォルニアの方法が生まれたのであろう。いずこも同じ秋の夕暮との感じを深くしたものである。
これらの他にも都市部、郊外、ショッピングセンタ−内の薬局を幾つか見学したが、また別の機会に紹介したい。そのいずれも独立薬局でChain Drug Store(Long’s, Payless, Walgreen等)の大資本と対抗して経営しているものであった。
こうした薬局は共通して地域社会(Community)に根を下して住民の側に立ってChain Drug Storeとの競争を迎えようという経営姿勢をとり、そのためにPatient Profile, Family Profileを整備することを有力な武器としようと試みている。これはただ記録をとることだけを意味せず、もちろんDIなどとも関連して、調剤の情報化の傾向と理解する方が望ましかろう。
1960年代のClinical Pharmacyは病院薬学の一部と考えられて、地域薬局とは無関係とされたものであったが、現在では完全とはいえないまでもかなり意欲的に取組んでいるといえよう。それも競争という厳しい環境での取組みであるので真剣味が感じられるものがある。
この見学にお世話になった粕谷教授、岡助教授、カスタニョリ教授、ハ−フィンダ−ル教授、ビクタ− K.岩本、水野善郎の諸氏にお礼を申し上げます。 |
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