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序にかえて 開局薬剤師30年
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解説 世界一の開局薬剤師
序にかえて 開局薬剤師30年

1)薬剤師30年
 月日の経つのは速いもので、昭和29年(1954)の春に東薬大を卒業してから、もう30年以上も開局薬剤師として過ごしてしまった。
 最近は古い友人から、転職や退職の通知・挨拶状を頂く機会が多くなった。 私には、その挨拶状に、その友人の30年の労苦や業績が、ぎっしりと詰まっているように感じられる。中には、既に亡くなられて、追悼集で在りし日の思い出を偲ばねばならない友人もある。
 ちょうど取材に来ていた堀君に、 いよいよ、次の世代の世の中になってきたんだね、といった意味の話をした。すると堀君は、薬剤師になって30年、調剤薬局20年の間に発表したり書きためた原稿を纏めておきましょう。資料はすぐに散逸してしまいますよという。その誘いにのって、この冊子が生まれることとなった。

2)薬剤師生活のスタ−ト
 振り返ると、わが水野薬局(創立1909年)は、東大病院の付近という立地の故に、戦前から調剤の仕事に恵まれていた。特に1956年の法改正(いわゆる医薬分業法の施行、昭和31年)以後は、東大病院は外来患者に対して率先して外来処方せん発行を行ってきており、組織的な発行は東大病院が嚆矢であったろう。
 今日ではもう処方せんは珍しくもないが、処方せんの話が出ると、顔色の変わるほど不機嫌になる医師の多かった当時では、全く恵まれた環境であった。
 そんなことで、わが水野薬局は処方せんを、ただ調剤するだけの「左うちわの結構なご身分」と見られていたようだ。 最近になって調剤薬局を開いてみて、「見ると聞くとは大違い、忙しいばかりか、束縛され、気も使わねばならない、案外と大変な仕事だ」という体験談を聞くこともあるが、そのころの薬剤師仲間は、誰もそんなことをご存じなく、ただ羨ましがられていたように思う。

3) 調剤に取り組んで
 仕事をはじめて最初に、褌を締めてかからねばならないと気が付いたのは、「薬局の調剤」そのものであった。同じに調剤とよばれて形は似ていても、開局薬局の調剤は、考え方から仕事のやり方、値段まで病院薬局と違うものであった。特に将来は薬局の仕事の中心になるであろう技術が、病院薬局の猿真似では通用しなくなるに違いないし、政治的な薬剤師仲間の医薬分業のかけ声は強くひびいても、技術的な内容が伴わなければ、空年仏におわってしまう心配もあった。
 そこで、外国の開局薬局では、どんなやり方をしているのか知りたくなって、南江堂や丸善に頼んで、手あたりしだいに書物を取り寄せてもらったのもその頃のことである。調べれば調べるほど、わが国の開局の薬局業務の現状が、幼稚に見え、もの足りなく思えてきた。さてさて、薬局の調剤の第一歩から、組立て直しをするのが、結局は早道だろうが、大変な所へ飛び込んだものだというのが、薬剤師生活の第一印象であり、調剤への取り組み方であった。
 しかし。考えてみると、ほかの薬局ではまったく処方せんの取扱がないのだから、技術や技(わざ)の未熟なのは致し方のないことであった。 折角東大が処方せんを出してくれているから、まず自分一人でもやるしかない、まあ仲間の道しるべ位には、ならにゃいかんのだろうと、気負いというか、義務感が生まれてきた。

4) 第一世代意識
 この、第一世代意識というか、道を開かねばならぬ義務感に追われて、とうとう30年を過ごしてしまった。
 こうした眼でこれまでの仕事を振り返ってみると、約10年を単位として区切ることができる。そして比喩的にいえば10年に一度づつ「箱作りをしてきた」ということである。最初は、それまで薬局の副業とみられていたし、自らもそうであった調剤を、正面に据え直した、調剤薬局という、国民と医師に信頼してもらえる調剤施設を造ってみた。 次の10年に取り組んだ東薬大のキャンパスは、 どこへ出しても恥しくないプロフェッション(専門職業人)としても薬剤師を育成するにふさわしい、薬学教育の入れ物作りであった。 最後の10年はコンピュ−タ・システムという、将来開局薬剤師業務の基本となるであろう情報処理の、枠組みを創りあげようと励んできた。
 この三つとも、反対やら誤解やらで、始めから順調にいったものはない。外部より、むしろ仲間うちの反感と反発に出会っている。調剤薬局は1年間、お預けで開局できなかったし、新キャンパスの移転は徹夜の交渉を何度も繰り返しした。コンピュ−タの利用は大規模薬局の経営政策で、未だに一般の開局薬局とは無関係と思い込んでいる人々が少なくない。
 しかし、三つとも薬剤師仲間になかったイメ−ジ(概念)を初めて主張して実現したものである。理解と賛成を得るまでに大きな困難があったことは、かえって人生のいきがいになっていたと考えている。そして、この三つとも全て、将来の開局薬局、もしくは薬剤師の仕事や職業像の基本概念の導入に、多少とも役立つに違いないと信じている。
 これ等の入れ物の内容は、どれもまだ十分とはいえまい。充実した内容を詰め込むのは、次の世代の役割として期待している。

5) むすび
 もちろん、理解して貰えなかった一方で、暖かく見守り、声援を送っていただいた多くの人々がある。その声援、協力があってこそ、はじめて成し遂げられたものであり、決して自分一人でやり遂げられたものではないことはいうまでもない。こうした方々にここで改めてお礼を申し上げたい。
 同時に、この小冊子によって、新しい理解者が生まれることになれば、大変に嬉しいことだと考えている。
1987年1月 水 野 睦 郎

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